hikari

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大事にしたい

木彫りの人形が私をじっと見つめている。
クーラーの効きが悪い実家のリビングで、
ソファにくつろぎながら、私は木彫りの人形を見上げていた。
その人形は、ニポポといってアイヌのものらしい。手のひらサイズの小さな女の子の形をしている。かわいい、穏やかな顔だ。私が、網走に行ったときに買ったものだ。観光地の土産といえば他人宛にしか買うことがなかったが、ニポポは自分のために買った。今は実家のピアノの上に置いてある。

ニポポとの出会いは、先週の土曜日だった。
私が網走に行ったのは、特に何の目的もなかった。ただ焦って、車を走らせていたら、網走についていた。
とにかく、何かをしたくて車を走らせていた。何かをしたいと思うほど、私はなにもしていなかった。

私は、昨年の冬、気がついたらいろんなものを無くしていた。
仕事、婚約者、都会の生活。自分の体を壊すまで我慢したものが全て水の泡になった。病めるときも健やかなるときも共に歩む予定だった婚約者は、一時の性欲に支配されて、都会の寂寞に消えていった。晴れて、30歳手前というのに無職、婚約者もなければ金もなく、実家で寄生虫の様に暮らしながら、早1年が経とうとしている。仕事を辞めてから、夜が怖ければ、朝も怖い日々が通り過ぎてゆく。眩しい光が窓から差し込むとき、私は心底嫌悪感がした。今日は何から逃げればいいんだ。
弱り果てた心では都会にひとりでは耐えられないという理由で、全てから逃げ出して実家のある北海道にやってきた。それからというもの、実家で親の生気を吸いながら、私は生きている。そうだ、私は、学生のころから何一つ成長していないのだ。
現代病の「人間関係リセット症候群」よろしく、そんな自分を克服するべく、私から絶対に人の縁を切ってはならないと決意した大学一年生の近いは虚しくも守られずに終わった。東京を離れるときに、惨めで仕方がない自分に耐えきれずに連絡先を全て消したのだ。そういうところも含めて、私はつくづく惨めな女だった。
惨めではあるが、一方で身軽でもあった。世間からは後指刺されることしかない。だが、あまりにも社会から離脱した自分は、傷つかない閉鎖空間に居て、居心地はいいものだった。

網走についたのは昼過ぎだった。網走といえば、有名な網走監獄がある。地元が北海道でありながら、なんとなく厳格そうな雰囲気の観光地だなと、食わず嫌いをしていた。何も考えず、網走監獄へ向かうと、なかなかの賑わいようであった。

天気は曇天だった。
私は北海道の曇天が好きだ。広い土地には鬱々とした天候も圧迫感を感じない。空が迫る感覚もなく、曇天を曇天として楽しませる自然の余裕がある。その余裕に身を委ねていれば、曇りに左右されず、私は灰色の空の色や雨の匂いを感じられる。

結果は、行ってよかった。
昔は知ろうともしなかった北海道の歴史が、今はスポンジの様に自分の頭と心に染み込んだ。幾人もの命の軌跡に、郷土愛のような、不思議な気持ちがじわじわと生まれる感覚があった。嬉しいも悲しいも感じなくなっていた自分の心に、じんわりと温かなものが込み上げてきて、なんとなく涙が出る様なそんな気持ちになった。そうか、これが感謝か。観光地は様々だが、地元の観光地こそ行くべきでは、と考えさせられた。
ニポポとは、網走監獄で出会った。
監獄内に、私の同じくらいの身長の木彫りの女の子の像があった。詳しい内容は忘れたが、アイヌ由来の像で、遠出をする際にニポポに無事を祈っていたらしい。かわいい女の子の像だった。直感的に、欲しい、と思った。
私のような消費者心理を悟った様に、出口の土産屋には小さなニポポが売られていた。誰の土産でも無く、私はニポポを自分のために買った。800円くらいだった。社畜として身を粉にして働き、ストレス発散の如く買ったデパコスよりも、はるかに、私の心は800円のニポポによって満たされていた。

実家に帰って、ニポポをピアノの上においた。
ピアノは私の唯一の表現場だった。特別な場所だから、その上に置いた。
色々失った昨年の冬に、手に入れたものは適応障害だった。
親や兄弟の病気やらで落ち着いていなかった学生時代から、なんとなく直向きに隠していた自分のボロが如実に現れた。そんな私に、自分の感情を吐き出させていたのがピアノだったのだ。いろんな日を生きた当時の自分が、鍵盤を触ると蘇る。置き去りにしてきた自分が、あの日のままピアノのイスに居るのだ。
今回、全てを失ったのも、決して運が悪かったのではなくて、解決されない自分の心の問題だと、私は知っていた。なるべくして、私は今この状態にいる。

私は、ニポポを見た。
私は、ピアノの上にあるニポポを、小さな頃の自分だと思うことにした。なんとなく、そうしたかった。
ピアノ椅子に座り、ニポポを手に取って、小さな頭を指で撫でた。
幸福をもたらしてくれるニポポ。でも、この子が、あの日の小さな私なら、私はこの子に何をしてあげればいいんだろう。

そんなことを日々考えていた。

散々、私は自分の人生から逃げてきた。傷つくのが怖くて、逃げて逃げて逃げてきたのに、結局なりたくない想像のまま今日まできた。
だけど、もう逃げれない。
私が幸せじゃないのは、私のせいだった。
自分を幸せにするのは、いつだって自分だった。こんな巷で何十年も言われ続けてることが、小さな木彫りの人形に宿した過去の自分を見たときに、初めて理解した。

自分を大切にする方法はまだよくわからない。愛するとかもよくわからないし、ダメな方の自己愛は強そうな気がする。
だけど、とりあえず、私は、このニポポを大切にする。
幸福を呼ぶニポポより先に、私が幸福を運ぶのだ。

緊張が解き、じんわりと体が温まる。夜を迎えることを認めた私の身体は、これからの自分を生きるための準備をし始めていた。

9/20/2024, 4:49:00 PM