お題 春爛漫
春爛漫
それは春のもやもやを指す言葉だと思う。
ストレスは溜まるし、かと言って桜が咲くように明るい気分にならないわけでもないし。
そうは言ってもこの言葉、調べて意味を知った言葉であるし、深くそのことを感じることはまだないと思う。
桜は咲いて散るものだと思っているし、梅も桃も季節が来れば咲いて季節が終われば散るとだけ思っているから、「春爛漫はこんな意味だったのか。」と深く感じ入り、その意味に浸るのはまだ先のことだと実感できちゃうんだからね。
まあまあではあるけど、言葉はそこそこ知っている。けどまあ、意味とかを深く知って感じ入ることはほぼ絶対にない。言い切れる。あとは、言葉を深く知ろうと思うこともまだない。よほどのことじゃないとね。
遊びたいし、遊べないわけでもないけれど、遊ぶ気がしないなあ。誰かがまえ、
「春爛漫でいいわねえ、子どもは。」
と言った気がするけれど、誰だったかな。確かに、学校とか、遊び場とかで春爛漫と似たような気持ちになることもなくはない。ちょっとしたことで嬉しくなるし、その回数も多い。でも、その花咲いた気分もちょっとしたことで害されるよね。友達に文句言われたとか、嘲笑われたとか、やりたかったことがやれないことになったとか、ああ、春爛漫な気持ちって難しい。
夕陽を見ると−今日の分はまだ見ていないけれど−1日が終わりそうで残念なのに、なぜか春爛漫な気持ちになる。そのあと、「手伝い」という名の労働があるというのに。
でも、「手伝い」を嬉しく思うこともある。何かとても暇だったり、何かやりたいと思っていたりすることもあるから。
ここで、「私はガイノイド・アンドロイドです!」みたいなことを言い出したら、みんな「はぁ?」「嘘だろ」というでしょうよ。それで、笑ってもらえば春爛漫になれるかもしれないよ。
もともと、私の皮膚は人の温もりがあるし、生傷も絶えない。血の流れないアンドロイドには決してない青あざも持っている。アンドロイドとはどことなく、違う感じのある人だから、そう言って信じてもらえることはよほどの人でないとないだろうね。なんとしてでもその証拠を見つけてみせようと躍起になったりする人はいないと思うけど。
私はとてもこだわりが強く、そのおかげで春爛漫になることはとても多い人になったと思う。書体にもこだわり、お気に入りの字は「ふ」「り」「ひ」。この書体であればなお結構ですよ。
先ほど話したように、こだわりはとてもあるよ。だから、春爛漫というとても明るい気持ちになれたね。でも、一回、災いがあったね。新聞をグループで作ってたときだったかな? お気に入りの書体を見つけたもので、それに変更したら、とても文字が読みにくくなり、好評を得られなかったんだよね。あれは苦かった。苦かったぞ〜。
これで1000文字を超えたそうだね。おめでたい。
ベッドに敷いてる、真っ白なシーツを見ると、ちょっと変な気分になるんだよね。何というわけでもないけど、春爛漫とはほど遠いかな。
もう黄昏時。近所の桜スポットもすっかり葉桜でつまらないね。とっぷりと日が暮れて、春爛漫な空が曇ってるし。春爛漫な気持ちはどこへやら。
でも、やっぱり日が暮れると朝日を感じやすくなって春爛漫。
今日はいくつ、春爛漫な気持ちになったのかしらね。
書くことを諦めきれない私は、書くのを再開。締めくくりにくくなっちゃいました。春爛漫は、やはり明るく子どもらしい言葉なのかと思う。明るく無邪気で真っ白で、春の太陽みたいなやつ。てことは大人に
「あなたは春爛漫な人ですね。」
なーんて言ったら失礼?
「なんですか! 子どもと大人を一緒にしてはいけません!」
とか言われちゃうもんなんですか?
それとも、
「それなら春の陽だと言ってください。」
と言われるのかしら? だとしたらかなりの自信家だね。はてさて、私はやはり、とんでもないところで更新をしてしまう。だから締めくくりの言葉を失って、自殺行為に直結だ。というわけで、私の脳みそに唯一残された「ci vediamo domani.」という言葉で締めくくりをつけようと思う。これのあとに更新を重ねてしまったらどう終わらせるのか?
ちなみに、
「ci vediamo domani」というのはイタリア語で
「また明日会いましょう」という意味。初めてなのにたくさんの人がもっと読みたいと言ってくれました。
とても嬉しい。
4/11/2024, 4:56:31 AM