泣かないよ
「もぉ〜、泣くなっての泣き虫」
「泣いてないもん!」
「どこがだよ。出てんじゃん、涙。ほらいい加減泣き止めっての。どうすんだよこんなので泣いちゃってさ…」
薄暗い廃墟の中、座り込んで泣いている高校生ぐらいの女子と、全身を黒で包んだ一人の男性がそこにいた。
男は面倒くさそうにしゃがみこんで彼女の涙を雑に拭った。
そして、彼女たちの隣には一つのぐちゃぐちゃになったナニカ、と一つの…死体。
「なあ、お前やっぱ向いてねえよこの仕事。諦めて今からでも普通の暮らしに戻ったほうがマシだ。確かにお前の体質と才能は異常だ。でも、だからといってここにいる必要はないんだ。お前がそうやっているうちは。
なあ、お前がここに来て何ヶ月経った?」
「4ヶ月ぐらい、です」
彼女は少し怯えたように男の質問に答えた。先程おさまった涙が、再び彼女の頬を伝う。そんな彼女を見て男はため息をついた。
「そうだな、4ヶ月だ。もう、4ヶ月だ。お前以外のやつはもう全員こんなくらいの雑魚なら倒せるようになってる。なあ、こんなのも倒せないくせにお前は…。医療班に送ろうにも人の死体どころか、ちょっとした傷で顔真っ青にするやつがまともに働けるとは思えねえし…」
「でも、しょうがないじゃないですか! こんなもの私は今まで見たことも、聞いたこともなかったんですから! それなのにいきなりこんなやつと戦えって言うし、人はたくさん死ぬし…」
男の言葉に、彼女は大粒の涙をボロボロと流しながら反論する。すぐそばに転がっているナニカ、を指さしながら。
彼女の指の先にあるものは『変異特』とよばれる怪物だ。なぜ現れるのか、なぜ人間を襲うのか、どのような仕組みで生まれ、動いているのか、生態を含む全てが謎に包まれている。
そんな奴らに対して対処・研究を秘密裏に行っている組織があった。その組織のは「Wh.スノウ」といい、彼女らはここに属している戦闘員だった。彼らの仕事はただ一つ、変異特を迅速に対処し研究班に受け渡すことだ。
そんな彼らにはそれぞれ「異能」と呼ばれる一つの能力を持っていた。
そして先程から泣いている女子高校生、白雪凜花にはその「異能」のなかでも特でも異彩を放つものだった。そんな彼女を見つけこの世界へと勧誘したのが、先程から白雪に対してぐだぐだと説教をしている男、鷹司慧だった。
鷹司は白雪に対して期待していた。それほどの力が彼女にはあった。だが、その期待はすぐに打ち砕かれることになった。
彼女は病的なほどに、それはそれは病的なほどに泣き虫だったのだ。虫を見ればすぐそばにいる人間に泣きつき、転べばまるで幼稚園児かのように泣き叫び、他人が少しでも怪我すれば泣きながら卒倒、就寝時では未だに暗闇で寝ることができない。そんな具合であるから、この世のものとは思えないほど醜い形をしている変異特を倒すなど、到底無理な話だった。
「はぁ…、なんで俺はこんな泣き虫をスカウトしたんだか。そんな才能があっても、こんなんじゃ宝の持ち腐れだってんだ」
鷹司のその言葉に白雪の涙が増した。鷹司はもう何度目かもわからない大きなため息をつく。
「ほんとにどうすっかね…、泣き虫で弱虫まじで救いようねえって。最近、コイツらの動きも活発化してきてるってのに…。あ、しまった早く研究班に連絡しねえと、泣きよわ虫の相手してる暇はねえってのに、余計な時間を」
「はぁい、そこまでだよ慧ちゃん。それ以上憎まれ口たたかないの」
鷹司の言葉を遮って一人の男がきた。
その男の雰囲気はいかにも軽薄だった。長い金髪を適当にまとめ、Tシャツと黒のスキニーの上にくたびれた白衣を羽織っている男だ。
「武蔵か。どうしてここに居るんだ?」
「どうしてもなにも、あんたと凜花ちゃんが帰ってくるのがあまりにも遅いから迎えに来たの。変異体の回収もしなくちゃだし、今回は死体も出るって話だったからね。あと、名字で呼ぶなっての」
「リンさん…」
「あらあら、凜花ちゃん。またあのおバカに泣かされたの?」
「おい」
武蔵は鷹司の近くで座り込んでいる白雪に話しかけた。
「うう…」
白雪は武蔵の優しさでさた涙がぶり返した。
「はぁ、また泣いた」
鷹司は白雪を見てうんざりそうにつぶやく。
「もう、慧ちゃん! そういう態度を取るから凜花ちゃんが萎縮するんでしょ? もう、凜花ちゃんは私が連れて行くから、あんたは先に本部に戻ってて」
「言われなくても」
鷹司は白雪を一瞥し、彼女に対してはなにも言うことなく出口に向かっていった。
「ったくあいつは…。責任を持てっての。…凜花ちゃん、大丈夫?」
「はい…、大丈夫です。すみません、お手を煩わせて。ただえさえ役立たずなのに」
「そんなことは…」
「いいんですよ、自分でわかってるんで…」
白雪は武蔵の言葉を遮り、そしてそのまま話を続ける。
「でも嬉しかったんです最初は。私、今まで何もなかったから。でも、だめですよねこんなんじゃ。わかってるんです、でもここからいなくなるのは嫌なんです。私に期待してくれたのは鷹司さんだけだから、私は期待にこたえたいんです、まあ結局何もできていませんが…」
白雪は先程とは打って変わって、芯の強い目で武蔵を見つめる。そこには先程の弱々しい彼女など存在していなかった。
「はは、なんだ。随分としたたかじゃん」
心配する必要なかったじゃん、と言って武蔵は白雪の頭を撫でる。
「今の凜花ちゃんは泣き虫とは程遠いね。さあ、帰ろう」
「おい、白雪何してんだ! 逃げろ! お前が敵う相手じゃないんだ、応援を呼んでこい!」
「でもそうしたら鷹司さんが危ないじゃん! 動けないんだから黙っててよ!」
絶望的だ、としか形容できない状況だった。都市の半分が崩れ、あたりは火の海となった。一般人と合わせて一体いくら人が死んだだろうか。
白雪と鷹司の目の前にいるのは、強大な敵。実際、鷹司はその敵に敗れていた。足の骨は砕け、全身は傷だらけ、異能ももう余力も残ってない。
鷹司は決して弱くない。むしろ強い分類に入る。実際、彼は組織のトップ10だ。
そんな彼が敗れるほど、敵は強大だった。急激な異能特の進化と活発化。それにより異能特は新たな力を手に入れた。それが人間の乗っ取りだ。
そして今彼女たちと敵対している敵は人間だ。いや、人間だったという方が正しいだろう。それだけに収まらず、その人間だったナニカの体は、Wh.スノウの一員であり、白雪の同僚であった。
白雪は今、鷹司をかばいその元同僚に立ち向かっている。
「お前には無理だ! お前にそいつは殺せない! 他人が傷を作って卒倒する人間が、仲間を殺すのは無理だろ!?」
鷹司は白雪に向かって懸命に叫ぶ。彼女は怖がりで泣き虫だ。はたしてそんな人間が、元とはいえ人間を、同僚を殺せるだろうか。
それに、鷹司は気がついていた。彼女の、白雪の手が震えていることに。
「大丈夫だよ、鷹司さん。私、もう泣かないよ」
「は?」
「だから、安心して」
「何言って…! お前手ぇ震えてんだろ、そんなんで本当に戦える訳g」
「ごめんなさい、鷹司さん」
不自然なほどに白い空間。気を抜けば飲み込まれて、そのまま消えていってしまうような、そんな危うさをもつ空間。そんな場所に、鷹司は立っていた。
彼のそばには、一つのベット、そしてそこには人が眠っていた。
「ッチ、胸糞わりぃ。なんでこいつがこんなんになんなきゃいけねぇんだ。なあ、白雪」
ベットで眠っているのは白雪凜花だった。彼女は先の戦いで鷹司をかばったのちに、勝利。強大な敵を倒しかつ貴重な研究材料を手に入れ、その後、良い方へと展開していくと思われたが、現実はそう上手くはいかなかった。
白雪凜花の異変。先の戦い後、もう泣くことのなくなった彼女は、鷹司の元を離れて任務にあたっていた。そんな中、彼女は突然眠りを始めた。
「泣かねえお前ってのも、なんだか味気ねえな。まるで機械だったよ。あの時からのお前は」
鷹司の言った機械のようだという表現は言い得て妙だった。
彼女は機械になってしまったのだ。いや、機会というよりはシステムというべきだろうか。
彼女は眠ったまま、白雪というシステムとしてWh.スノウを動かしていた。
「なにが、もう泣かないだよ。泣かないどころか話もしなくなりやがって…」
鷹司は悲しそうに白雪を見る。ピクリとも動かない身体、生気のない肌色…、どれも死人のようだった。かすかに彼女の鼻から聞こえる呼吸音のみが、今日も彼女が生命維持をしていることがわかる唯一の要素だった。
「…俺のせい、か。お前がこんなんになっちまったのは。俺があの時お前を勧誘しなかったら…、俺があの時負けなかったら、お前はこんな風にはならなかったのか?」
「ああっクソっじれってぇ、大体俺はこんなことでしみったれてる暇はねえんだ」
「なあ、白雪。今日はお前に誓いを立てに来たんだ。いいか、よくきいておけ。俺は絶対になかねえ。今も、過去も、これからも、絶対にだ。だから早く目覚ませ、お前は俺の分も泣け。そのために俺は今日行く。最終決戦だ。
わかったら、泣く準備でもして待ってろ」
もう泣くことのできない俺の代わりに。
鷹司はそれだけいうと白雪の方をもう見なかった。
そのまま出口へと歩き始めた。
3/18/2023, 4:28:12 PM