冬がきた。
私は以前恋人と訪れた港に来ていた。あの時も季節は真冬で、凍えそうに寒かったのを覚えている。
なぜ夜中に海を見に来たのか?
ここが観光名所だからというのもあるが、実際は少し気分が落ちていたからに他ならない。
たまにあるのだ、特に理由もなく落ち込む期が。
あたりを見回すと、2組ほどのカップルが散歩していた。ひとりなのは私だけ。少しだけ居心地悪く感じたものの、今は他人に嫉妬している場合ではないと頭を振る。余計な感情に惑わされず、自分を見つめなくては。
ザザン……ザザン……
時折波が堤防を打つ音が聞こえる。
子守唄のようなそれは、ベンチに腰掛けた私の瞼を下へ下へと引っ張った。
「先生?」
あの子の声が聞こえる。
「先生!」
こんな時間、こんな場所にいるわけがないのに。
「先生、起きてください」
肩に何かが触れた気がして目を開けると、そこはいつもの彼の部屋で、目の前の彼が膨れっ面をしていた。
「先生、私が勉強してる間に寝ちゃうなんてひどいですよ!」
「ああ、ごめんなさい。どれくらい寝てましたか?」
「10分は経ってないと思いますけど」
「すみません。ワークは終わりましたか?」
「はい」
彼が差し出した問題集を受け取る。彼の言う通り、すべての回答欄がきちんと埋められていた。
「うん、流石です。歴史はますます得意になれそうですね」
「ふふん♪」
私が褒めると素直に喜んでくれる彼。こっちまで嬉しくなる。
「ところで先生、そろそろ本当に起きないと、風邪ひいちゃいますよ」
「え?」
「先生、早く会いたいです。先生、……」
まだ何か言われたような気がしたけれど、うまく聞き取れなかった。深い海の底からすくい上げられる感覚。彼が遠ざかっていく。
待って、まだ彼と話していたいんだ。
まだあの子のそばにいたいんだ。
待って……
「おい!!!」
鼓膜を通り越して心臓をぶっ叩くような野太い声で目が覚めた。一気に脈が跳ね上がる。
「おいあんた、こんなところで寝てたら死ぬぞ!」
「へ、ああ、すみません。ありがとうございます」
「おう、気をつけろよ!」
威勢のいいおじさんからはほんのりアルコールの匂いがした。恐らく飲み仲間であろう人達と一緒に去って行く。
私は凝り固まった体を伸ばして立ち上がり、駐車場へと足を向けた。
途中、持ってきていた貝殻を真っ黒な海へ放る。元はここで拾ったものだから、ゴミとは言わないでほしい。
車の中はすでに冷え切っていた。温かい飲み物を買って正解だった。
私はコーンポタージュを缶の半分くらい飲んでから、ポケットのスマホに手を伸ばした。
無性にあの子と話したい気分だった。
テーマ「夜の海」
8/15/2024, 2:31:53 PM