結城斗永

Open App

※この物語はフィクションです。実在する人物および団体とは一切関係ありません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 バイト帰りに立ち寄るスーパーマーケット。午後五時の店内は多くの客で賑わっている。
 俺は買い物かごも取らずに自動ドアをくぐり、店内をまっすぐ進む。
 半額のシールが貼られた弁当を手に取り、冷蔵ケースからエナジードリンクを一本手に取ってそのままレジに並ぶ。体に染みついたいつものルートだった。
 
 レジに並びながら、入口を入ってくる老婦人に目をやる。
 毎日同じ時間にやってきては、商品を陳列している男性店員に話しかける。
 老婦人は腰も曲がり、かがんでいる男性店員とほぼ同じ背丈だった。買い物かごと呼ぶにはあまりに小さい籐籠を左手にぶら下げて、右手には杖をついている。
「この前、駅前のパン屋さんでね――」
「あれ、納豆ちょっと高くなったんじゃない?」
 忙しそうに野菜を並べる店員の後ろで、老婦人の大きなおしゃべりは止まらない。店員も手を止めずに彼女の話に付き合っている。
 ――店員さん、毎日大変そうだな……。
 俺はそんなことを思いながら、レジのカウンターに商品を置いた。
 会計を終えたころ、老婦人はようやく「じゃあ、またね」と店員の肩を叩いた。
 結局、手ぶらのまま小さく体を揺らしながらトボトボと帰っていく。

 ――何も買わないのかよ……。
 心の中でそう吐き捨てながら俺も店を出て、使い古したマイバックを自転車のかごに放り込む。
 自転車を走らせ、先ほどの老婦人の脇を通り過ぎる瞬間、チラリと脇目で彼女を見る。
 ――ああいう老人にはなりたくないな。
 あっという間に老婦人の姿は後方に流れ、小さくなっていく。

 いつものように誰もいない真っ暗な玄関に向かって「ただいま」と独り言つ。
 六畳一間のワンルームは決して掃除が行き届いているとはいえなかった。
 弁当をレンジに突っ込み、エナジードリンクの缶を開けながらパソコンの電源を入れる。
 上着をハンガーにかけ、パソコンが起動を終えたころ、薄暗い部屋にレンジの音が響く。
 ショート動画を流し見ながら、エナジードリンク片手に生暖かい弁当を食らう。
 ――ああいう老人にはなりたくない。

 数週間後、相変わらずの帰宅ルート。
 ただ、その日はあのスーパーに老婦人の姿がなかった。
 俺はレジに並びながら、無意識に入口へ視線を向ける。いつも老婦人に対応している男性店員は業務をこなしながらも、時折心配そうな表情で外の方に目をやる。
 店を出ようとしたとき、男性店員と店長らしき男性の会話が耳に入る。
「来てないですね……」
「ちょっと連絡してみようか」
 
 俺は家路に自転車を走らせながら、なぜかあの老婦人のことを考えていた。
 何の関係もないはずなのに、胸の奥にもやもやとしたものが漂っている。
 形の定まらない不安が、膨張と収縮を繰り返す。
 冬の近づいた空は薄曇り、信号待ちの体に冷たい風が吹く。思わず上着のファスナーを顎まで上げた。

 次の日も老婦人は店に姿を見せなかったが、店員の表情は昨日より明るかった。
「早めに見つかってよかったよ」
「ええ。本当に……」
 どうやらあの後、店長は老婦人の家に電話を掛けたが繋がらず、念のため救急に連絡したところ、家の中でぐったりとしている彼女が発見されたという。
 まるで心の痞えが取れたようだった。と同時に自分の境遇と重ねて別の不安が募る。
 半額の弁当を手に取った時、ふと近くの冷蔵ケースでプリンが安くなっていた。

 レジに商品を置いた俺に、レジの女性店員がバーコードを読み取りながら言った。
「何か、いいことありました?」
 俺は一瞬固まって、首を横に振った。
「いや、別に……」
 彼女は軽く微笑み、その後は淡々といつも通りのレジ業務をこなす。
 外に出ると、空は薄い紫に色づいていた。マイバッグがプリンの分だけ少し重い。
 
 玄関の暗闇にただいまを告げて、いつものようにパソコンを起動する。
 薄暗い部屋で弁当を食べながら、画面を流れていくショート動画の内容がほとんど頭に入ってこない。
 ――何か、いいことありました?
 あの女性店員の声が頭をよぎる。あの店は老婦人にとって居場所のひとつだったのだろう。何を買うわけでもないが、周りもそれを受け入れている。気づかなかっただけで俺もその輪の中にいる。
 俺はプリンを一口含む。甘いカスタードと仄かに苦いカラメルが喉を通って体の一部になっていく。
 なぜ俺はあの時プリンを手に取ったのだろう。安堵からくる喜びの衝動なのか、はたまた将来に対する不安への自己防衛なのか。
 いつもより広く暗い部屋にプリンの甘い香りが薄く漂っていた。

#寂しくて

11/10/2025, 4:58:49 PM