遠江

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「アぁ''?テメェツラ貸せや、ゴラ」

僕はヤンキーに壁ドンを──否、木ドンをされていた。
背後で芙蓉の木がミシミシ揺れる。
彼の顔は逆光になって表情が読みづらく、余計怖い。

「スミマセンスミマセンお金払います」
「なァにビビってんだよォ? まだ何もしてねぇじゃんか」

彼は髪をプラチナブロンドに染め、陽に焼けた肌をしていた。一度も染めたことの無い黒髪に不健康な白い僕とは真逆である。
彼はカッターシャツの下には赤のTシャツと十字架のネックレスをしていた。彼の家はクリスチャンだと近所のオバサンが話していた。

「……で、ナニしてくれんの?謝るってコトは思い当たる節があンだろ?金で済むってんなら、ほら、サツタバでも出してみな」

強請りかと思って財布をモタモタ出そうとしたその瞬間──
「お前さ、あの女(ひと)に近づいたろ」
低く、くぐもった声。
サイフのマジックテープを剥がす動作が疎かになる。

……あのひと? 誰?

僕が伺うように彼を見るとヤンキーは笑った。片方の口角だけで。

「──コズエちゃんに可愛がられてんじゃねーよッ」
「ヒィッ!?」

拳が、顔の横の幹を殴った。
バリッ、と樹皮が裂け、木がさらに揺れた。
ミンミンゼミが油で揚げられているように鳴く。

「コ、コ、コ、コズエちゃん…っ?」
「音楽のコズエちゃん、知らねぇとは言わせねぇぞ」
「音楽っ? キリュウ先生のこと…?」
「おぅ」

何を今更とヤンキーくんが短く頷く。

「とぼけるなよ、おまえ。ほんとは、好きなンだろ?」
「え、えっと話が見えな……」
「コズエちゃん……笑ってたんだ。オレといるときじゃなく、お前のほう見て」
「いや、ソレは授業の準備してて、先生合唱部の顧問だし…っ!」
「くどくど言うなよ、男だろ」
「くどくど言うよぉ、オタクだもんっ」

彼はパシパシ拳をもう片方の手の平に打ち付けている。

「テメェ……一発ぶん殴ったら、全部忘れてやるよ」
「め、めぽ〜っ?!」

クリスチャンって右の頬を殴られたら左の頬も差し出す人達じゃなかったっけ??
なんでこんなもんがクリスチャンやってるのっ?

「……今、なんつった?」

僕の悲鳴とも呻きともつかない声に、ヤンキーが動きを止めた。

「アッいやっ、つ、つい癖で……!その、あの、プリキュアお助けキャラ、メップル32歳(♂)の鳴き声で……ッ」
「……ッぶはっ」

ヤンキーが笑った。吹き出した。
木陰がまた揺れる。ミンミンゼミも、少し鳴き方を変えたように聞こえた。

「オメー、何者だよ……っ、めぽ〜って……おまっ……ぷははっ」

まさかこの状況で笑われるとは思わず、僕は狐につままれたように瞬きをした。

「おまえ、ほんとにキリュウ先生のこと、なんとも思ってねぇの?」
「えっと、……はい。好きか嫌いかで言ったら、好きです、よ。僕も合唱部でお世話になってますしお寿司……」
「ふぅん」

急に、ヤンキーの声が柔らかになった。
葉のすき間から陽が揺れて、彼のまつ毛の長さがはっきり見えた。
その影が、なぜだかすごく少年ぽかった。

「……だったら、しあわせになってほしいよな、先生には」
「ぁ……ハイ」

ふたりして、並んで木にもたれた。
僕の背中のほうの樹皮は、無惨にメッコリ割れていたけど、一旦目を瞑ってそらすことにした。
なんだかいい雰囲気を出してこの場をやり過ごさねば。
あぁ木陰って涼しいな…。

「……………………」
「……………………」

沈黙に耐えきれ無くなった。
木陰って言っても外だし早く家に帰ってSwitch2でブレワイしたい。
てか、もっと喋れよ陽キャでしょっ?
僕はズボンでモゾモゾ手汗をふいて口を開く。

「……………な、殴らなくて、いいんですか…? あッべ、別に殴られたい訳じゃないんですけどっ! 振りじゃなく…っ」
「殴っとこうか?」
「めぽっ?!」
「ブハッ! ……やめとくわ。オメェの“めぽ〜”が強すぎた」
「めぽぅ……」

僕はこの時以上にプリキュアに感謝したことは無い。


木陰の下に吹いた風が、彼の笑い声をさらっていった。
カラスの鳴き声と、チャイムの音が重なって、下校の時間を告げる。
僕らはそれぞれ反対方向に歩き出した。

田んぼのあぜ道を歩きながら『なんか意外と1対1なら話せるな…』と小さく感動した。
でもきっと明日からのクラスではまた他人に戻るんだろう。
それでいい。
隣合って揺れる木みたいに、たまたま1枚の葉っぱ同士が重なっただけの事だったんだから。






テーマ:揺れる木陰

7/17/2025, 12:52:37 PM