坊主

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いつまでも捨てられないもの

 パチンッパチンッ
「なに? 爪切り? トイレでやりなさいよ」
「いきなり上がり込んできて文句か。ここは日本だし、僕の部屋だ。気になるなら帰ってくれ」
 僕の部屋にずかずか入り込み息つく暇もなく、ひなは言った。
「てか何切ってんの。それ」
「アルミホイル。爪切りを研いでるんだ」
 彼女はヴァイオリンケースを床に下ろして演奏の準備を始めた。暇つぶしの会話ということだ。
 初めは俺のことを毛嫌いしていたはず。しかし、今ではこんな雑談をするだけでなく毎日暇さえあれば家にくる。当然家にいない時間もあるが、家にいるときは俺の用事を考えもせず家に上がるのだ。
 彼女曰く二重奏をしたいからそうしているらしい。
 つまり都合の良い相手が僕だっただけ。
 良い気はしないが、悪い気もしない。
「へえー爪切りって研げるのね……そんな高価な爪切りなの?」
「いや。多分数千円」
「なら——」
「貰い物なんだよ。初めてドイツに行った時、エリックに貰った。それからこれで切っていたから愛着もあるし、これじゃないとしっくりこなくてね」
「ふうーん。私なら買い換えちゃうわ」
 彼女の部屋を思い出す。トロフィーすらもゴミの山になっていて、ミニマリスト並みに物がなかった。彼女からすればトロフィーの量に価値はないのだろう。
「ひなの場合はそうだろう。トロフィーもゴミの山に刺さってたし幾つかは捨てたんじゃない?」
「昔のはね。大切なのはモノじゃなくて結果よ」
 その回答に納得する。
「ひなっぽいな」
「私っぽいって何。わかった気にならないで」
 頬をぷくりと膨らませる。
「ごめんって。そんなことより今日も俺と弾きに来たんだろう? 早く準備を——」
 俺に目もくれず淡々とひなは呟いた。
「あなたに負けた2位の賞状……私捨ててないから」
「ひなに勝ったコンクールなんてあったかなあ」
 そうして記憶を辿っていると、ふと思い当たる記憶にぶつかった。かつて、僕がヴァイオリンを始めたばかりの頃出たコンクール。その時、隣に並んだ赤いドレスが目立つ栗毛の少女。
 その少女の姿がひなの姿と重なった。
 勝ったことがあったんだ。
 その記憶がひなとの距離を縮めた気がした。
「さあ、始めましょ」
 音が重なった。

8/17/2024, 11:08:35 PM