さくらんぼ

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「あなたって本当に頭が悪いわね」

また今日も言われた。分からないところを質問しただけなのに。

私のピアノの先生は、私と出会った時

「あなたの事を見捨てることなんてしないからね。あなたの味方だから」

そう言ってくれた。でも蓋を開けてみれば私のことを蔑み、バカにしてくるような人だった。それでも先生の指導に必死に食らいついた。だが、どんなに努力しても、バカにされるだけだった。
もう限界だった。壊れそうだった。本当は辞めたかった。今私が通っているピアノ教室なんかやめてやりたかった。でも辞められなかった。
私の母親は音楽教師、父親は作曲家。小さい頃からピアノをやらされていた。大学に入ることをきっかけにこの先生になった。
初めの頃は信頼していたし、「この先生の元で学べば絶対上手くなる」、そう思っていた。だけど現実はそうじゃなかった。ピアノの鍵盤に手を置く度に思い出す先生からの言葉の暴力。それに耐えながらピアノを練習しても何も身につかなかった。

「私ってバカなんだよね…ダメ人間なんだよね…」

そう思うと上手く呼吸が出来なくなり、涙が止まらなくなった。

ある日、ピアノを練習しようと蓋を開けていつも通り鍵盤に手を置いた。でも動かない。よく見てみると震えている。必死に動かそうとするが動かない。

「なんで…明日レッスンなのに…」

とてつもなく焦った。こんな状態だったら明日、先生にもっとバカにされる。こんなのダメだ。動かない指を動かすために力を入れてみた。
何とか弾けるが、しばらくすると痛くなってきた。

「腱鞘炎…」

明日のレッスンのことを考えたくないが、これ以上やったらもっと酷くなる、そう思って練習をやめた。

翌日。

「なんの曲持ってきたの?」
「これです…」
「あなた、まだ終わらないのね。まぁいいわ。聞かせて」

先生は鼻で笑いながら言った。
腱鞘炎で痛みが走る中、必死に指を動かした。

「こんなの聞けたもんじゃない。やっぱあなたは頭が悪いわね」

もう無理だった。自分の中で何かが壊れた音がした。
レッスン中の記憶はなかった。とりあえず早く終わりたい、そう思って受けていたのかもしれない。
家に帰ると、膝から崩れ落ちた。涙が止まらない。まともに呼吸も出来ない。

「おかえり…ってどうしたの!?」
「お母さん、もう無理だ。私」

母親に今まであったことを全て話した。

「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
「我慢しなきゃいけないって思ったから。我慢すれば上手くなる。だけど上手くなる前に私が限界になったみたい」
「もういいよ、やめて」
「…え?」

母親からこんな言葉が発せられるなんて思っていなかった。

「あなたは充分頑張ったよ。もういいよ。多分今のあなたは疲れてる。少し自分のことを解放してあげてもいいと思う」

何故か自分の心が軽くなった気がした。やめていいんだ。楽になっていいんだ。そう思った途端さっきの涙とは違う涙が溢れてきた。

「さっ!ご飯食べよ!!美味しい物食べて忘れよ!」

そう母親は満面の笑みで言ってくれた。
きっと明日も辛いことはあるだろう。苦しいこと、辛いこと、どうしようも無いこと、色々なことがあるだろう。だが、逃げてもいい。逃げることは負けじゃない。自分を守るための武器なんだ、そう思えた。

10/1/2024, 2:34:29 AM