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人が知り得ないことを言い換えただけなのにお題である「神様だけが知っている」という響きは一考できるものと感じさせる。

神の概念は論理の破綻を補完する為のものでありそれ以外の何物でもない。人格的な要素を足すことで「いる/いない」という存在論に話をズラされているが本質はそこではなく論理に対する位置づけの方だろう。

とある種のマジレス的な主張もあるが祈りや信仰の文脈で言えばむしろ人格的なもの持つ存在が本質だと思う。人はまず信じるものの対象として他者という存在に価値を置いていると思うからだ。

スピノザの言うような非人格的な神よりも人格を有する神の像は人智を超えた存在と規定されながらあくまで「他者」という存在観念の内にいる。それは人が人を信じることと同じように神を信仰することがその延長線上の行為であることを意味している。

どこまでいっても人は信じるために愛するために対象を自分の観念に引き寄せる。そういった意味では人が最も信用するものは人なのだろう。擬人化というフィルターを通す過程を経て何かを信用する。

あっけらかんと言えば結局、人は人が大好きなんだろう。
嫌いな人を人ではないと表現するように。

7/5/2024, 12:31:00 AM