︰胸の鼓動
結局俺には恨みつらみしか残ってなかった。綺麗な話を書けるアンタはいいな。羨ましい。汚い自分が浮き彫りになるから見たく無かったんだ。羨ましい。認めたくない。でもやっぱり綺麗なんだよ。綺麗なものを否定するなんて俺にはできない。悔しいさ、お前の感性が羨ましい。羨ましいんだ、だから書いてくれ。お願いだからこんなクソみたいな俺の話なんざとっとと忘れてくれ。ぶっ潰して粉々にしたくなる。重症だろ、分かってんだよ。
誰か俺が間違ってると言ってくれ。「お前がおかしい」と言ってくれ。碌でもないやつに育っちまったよなって自嘲して笑った、その顔をまた見たい。いなくならないでくれ。お前の自嘲もお前の自虐も俺はずっといいなと思ってた。
暴力は好きだ、クソだし。暴言は良い、傷つくし。ブラックジョークって楽しいよな、苦しくて惨めでよ。慰めは好きだ、ムカつくし。
お前は俺のこれを個性だと言った。俺のこれを弊害だと言った。俺のこれをアイデンティティだと言った。お前は俺を否定した。お前はお前自身を否定した。否定という名の肯定をして、肯定というものの中身を捨てた。
あの日見た朝日は綺麗だった。お前の話を思い出した。あれだけ綺麗な話を書けるお前が羨ましかった。
お前は拾い上げたものを口に入れて「美味しい」と泣きながら笑った。俺はそれがゴキブリを食ってるように見えた。写真を眺めて同じように泣きながら笑った。俺はそれがゲロ袋を抱えてるように見えた。お前の矛盾したところが羨ましかった。
傷口に塩を塗るように嫌味を言ったらお前は傷ついた顔して曖昧に笑った。ああ俺は本当にクソ野郎になったさ、お前がちゃんと傷ついてくれたのが心底嬉しかった。今までの散々な言い方からしてこんなことうわ言にしか聞こえないだろうが、お前の傷をお前が認識したことが嬉しかった。「自分の痛みに気がついてあげて」なんて優しい意味だけだったらどれほどお前に優しくあれただろう。お前に俺と同じ痛みがあることを自覚してほしかった、ずっと。なあ、俺はあんとき確かにお前の傷口に触れられたんだ。膝を抱えたお前の。
俺だけをクソ野郎にしてくれ。お前は何も悪くない。お前を羨ましく感じた俺が全部悪い。俺が話しかけなきゃお前は黙ってなんとなくやり過ごしたままでいられただろう。引きずり出されることはなかっただろう。だから全部俺になすり付けてくれ。そんなことお前ができないことも知ってんだ、知ってて言ってたんだ。「できないよ」って震え声が聞きたくて。
このときばかりは己のことを恨んだ。もしこんなんじゃなかったら素直に抱きしめることができたんじゃないかとか、背を撫でられたんじゃないかとか。ふと考えて、手をおろした。俺はそれをされたら心底軽蔑するからできなかった。違う、お前の傷口を広げた手で撫でるなんて、そんな虫がいい話あるわけないと思った。塩を塗り込んでと言われたなら、喜んで撫でられる、の――――に?
もう、塩は塗り込めない。できない。嫌味を言うことも、皮肉ることも、傷口を広げることも、もうできない。一瞬でもお前のことを抱きしめたいと思ってしまった。思っちまったら、無理だろ。傷つけるなんて。
でも傷つけないと、お前どうせ優しくされたらムカつくだろ。ムカつかないのか? ムカつくのは俺だけか? 聞いたらお前笑うだろ。知ってんだ、どうせ笑った顔見せてくれることくらい。そんで全部「いいよ、いいよ、大丈夫だよ」って心底柔らかい声で言うことくらい。
お前の感性が羨ましい。綺麗なものを見て素直に綺麗だと目を輝かせて、せっせとメモ取ってんのが羨ましい。「ねえ見て!」って素直に共有してくるところが羨ましい。良いものは良いと素直に言えるところが羨ましい。いつでも誰にでも公平であろうとするお前の優しさが羨ましい。誰にでも親切であろうとするところが羨ましい。言葉遣いが綺麗なところだって羨ましい。感受性が豊かでいろんなとこに心を向けてるところも羨ましい。誰のことを恨まない清く正しく美しい、お前のことが羨ましい。笑って泣いた、お前の顔があまりにも綺麗だったから、心底
お前みたいに素直に言ったとして? そんなんお前「それならそうと早く言ってよ! 嫌いになんてなるわけないよ」って笑うんだろ。だから余計言いたくないんだ。 お前からの優しさなんて素直に受け取れない。素直なお前の優しさなんて、俺には。
羨ましい、羨ましかった、羨ましかったさ。なあ、でも「羨ましい」より「好きだ」のほうがしっくりくるんだ。全部置き換えたらお前のことが好きで好きで仕方がない、みっともねぇ俺が残ってんだ。好きだなんて在り来りでチープな感情だろ。好きだからなんだよ、俺がしてきたことは消えない。ああクソ、クソだ、心底クソみたいな心地なのに嬉しいんだ。俺はずっと好きだったんだ。ずっと好きだったんだよ、クソが。
9/8/2024, 7:30:23 PM