『白い吐息』
昼休憩になり、弁当を包んでいたハンカチクロスをデスクに広げる。
あ。
しまった。
ちょもん、と弁当箱の上に乗っかったふたつのおにぎりを見て、俺は口元を覆った。
取り違えてしまったらしく、おにぎりの大きさがいつもより小さい。
俺サイズのおにぎりは、おそらく彼女のほうに行ってしまった。
大丈夫かな?
一抹の不安がよぎり、彼女の携帯電話にメッセージを送ってみるが、返信はおろか既読すらつけてくれなかった。
このパターンはもう終業までメッセージを見られることはないだろう。
まあ、食いきれなかったら残すだけか。
もったいないが、無理して腹を痛めてしまってはかわいそうだ。
そう自分に言い聞かせて溜飲を下げる。
少し物足りない腹具合で、俺は午後の仕事をこなしていった。
*
仕事終わり、彼女とマンションのエントランス前で鉢合わせた。
「れーじくんっ」
上機嫌に声を弾ませた彼女の吐く息は白い。
ホコホコと気霜(きじも)を連れて駆け寄ってきた。
「お疲れさまです」
「お疲れっ」
日が沈んでも澄んだままの瑠璃色の瞳を、彼女はキラキラと輝かせる。
「ねえっ。おにぎりが大きくなってた!」
うっ。
気にかかっていたことを開口一番に指摘され、ギクリと心臓が嫌な音を立てた。
怒っているわけではなさそうだが、彼女は補食ありきの食事をしている。
きっと迷惑をかけたに違いなかった。
謝ろうと口を開きかけたが、彼女は昂揚した様子でひょこひょこと小さなポニーテールを揺らす。
「梅干しが丸ごと入っててね、ビックリしたの!」
「……梅干し」
彼女のおにぎりは小さいから、梅干しを半分に割って入れていた。
おにぎりひとつにつき、梅干しが丸ごと入っていたことが新鮮だったのだろう。
梅干しひとつでここまではしゃがれるとは思わず、俺のほうまで口元が緩んだ。
「んっふ……っ」
か、かわいいなぁ、もう! もうっ……!
「でも大っきかったから、ふたつ全部は食べられなかった」
「あ、やっぱりそうですよね? すみません」
「すごいのっ。食べても食べても全然なくならないんだよっ! お腹ポンポンになっちゃった」
ポンポンとお腹を叩く彼女の幼い仕草にらギュンッ、と心臓が鷲掴みにされる。
なんだこの生き物。
天使かな?
めったに食べる機会のないデカいおにぎりのサイズに、彼女は無邪気にはしゃいでいた。
「つ、次からは気をつけます、ね。……んんっ」
かわいいが大渋滞を起こして身悶えしていると、彼女は俺のコートの袖を控えめに引っ張る。
「んで、1個はオヤツにしちゃったんだ。だから、今日のお夕飯の炭水化物は抜くか少なめにしようかなって」
「わかりました。少し調整しましょうか」
「うん」
彼女の鼻っ柱が赤くなっていることに気がついて、立ち話をやめてエントランスを抜ける。
エレベーターに入ったとき、彼女がふと俺を見上げた。
「あ。今日のお夕飯、なに?」
「……」
お腹いっぱいだの、食べきれなかっただの、夕食の量を調整するだのと言いながら、彼女は今日の献立を聞いてきた。
意外と食い意地張ってるんだよな。
摂生しているとはいえ、たくさん食べてくれるから作り甲斐がある。
「食べさせすぎたかなって思ってたんで、白菜を酒蒸ししてアッサリ系にしようかと」
「おぉー。楽しみっ」
白くなった息を吐きながら、彼女は屈託のない笑みを向けたのだった。
12/8/2025, 8:37:26 AM