Frieden

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「だれもが、みんな」

この言葉を見て、「想像の共同体」という概念を思い出した。
想像の共同体というのは、同じ文化、同じ言葉、同じ価値観を共有する人々が「想像上で」結びついている社会的な集まりを指す。

会ったことも、見たことも、話したこともないのにイメージの中だけでつながり、わかり合っているつもりでいる。言葉が、みんなをつないでいる。

想像の共同体という概念自体、学問的には新しくても現代社会を前提として考えると少々古いように思われる、というか特にここ十数年で急速に色んな価値観を手に入れられるようになってから、いとも簡単にさまざまな「共同体」に所属できるようになったため、もう少し細分化された、新しい概念が必要なのかもしれない。

「インターネット老人会」「インスタグラマー」「なんJ民」
「陰謀論者」「キョロ充」「クリエイターや配信者のファン」「ゲームのプレイヤー」「フレネミー・ファンチ」

「誰もがみんな」の「みんな」って、いったい誰なんだろう?

自分は「みんな」のなかにいるのだろうか?

情報と人々の波に怯えて、疲れ切り孤島に閉じこもった人々は、
「みんな」の中にいるのだろうか?

「誰もがみんな」この言葉を見ると、取り残された「誰か」と「みんな」のことを考えずにはいられない。

それでも、私は。
誰もがみんな、忘れ去られることなく、幸せで暖かい人生を送れることを願っています。

2/11/2024, 2:18:47 AM