『もういいかい』
携帯から鳴り響く幼い子どもの声から逃れようと、俺は必死に電源ボタンを長押しし続ける。しかし、電源は落ちないし、通話画面から戻ることさえできない。こんなことになるのなら、あんな馬鹿な真似しなきゃよかった。俺は、決して触れてはいけなかったものに触れてしまった。遠雷と一緒に、遠くから恐怖が迫り来ている。
大学生になって約半年。キャンパスライフが板に付いてきた俺は、毎日のように行われるサークルの飲み会に参加するのがマイブームだった。酒に弱い方でもないし、友人と参加したサークルは皆が陽気で毎日が楽しかった。飲み屋街を歩き回って、適当な店で飲む。くだらない話をして、夜中になって家に帰る。典型的な堕落した大学生活だろう。
その日も、いつも通り飲んでいた。その日飲んだ店は少し変わった店で、お化け屋敷をテーマにした居酒屋らしい。薄暗い店内に、どこか不気味な装飾品。メニューのフォントもおどろおどろしいものになっている。雰囲気のある店にアルコールの力も加わって、俺らのテンションはおかしくなっていった。程よく酔いが回った頃。サークル長が、せっかくだし肝試しにでも行こうと言い出した。山沿いの店だったので、全員がスマホのライトで足元を照らしながら山道を進んでいく。真夏だというのに少し冷えたような空気が、不気味さをより強調していた。
しかし、そこでは拍子抜けするくらい何も起こらなかった。なんなら、近所の子供たちが作ったらしい秘密基地まで見つかる。微笑ましい光景に、俺らもなんだか少年心がくすぐられた。気付けば、子どもの頃に戻ったように遊んでいた。鬼ごっこをして、それからかくれんぼをしようということになった。ジャンケンで負けた俺が鬼になって、目を瞑って数を数える。普段なら、夜の山でかくれんぼなんて恐ろしいことできっこない。でも、酒の力は強力だった。俺が数を数え終わり、サークルのメンバーを探す。ふと、茂みが揺れたのが視界の端に見えた。
「見つけた!」
何の躊躇もしないで覗き込むと、そこに居たのはサークルのメンバーではない、小さな女の子だった。時刻はもう真夜中といっていい。不自然には思ったが、なぜか不気味には思わなかった。迷子か?とその子の手を引き、他のメンバーを見つけて事情を説明し、さっさと街へ下りる。女の子の手は、やけにひやりとして冷たいのが心地よかった。メンバーと別れ、女の子を交番へ連れて行こうとした時にはもう、その子は俺の後ろには居なかった。
狂ったように鳴り響く携帯のコール音と、クスクスとずっと聞こえるあの女の子の笑い声。本来なら電話番号なり登録した名前が表示される欄に書かれた文字は、「もういいかい」。俺はそこで、もう選択肢なんて無かったことを悟った。震える手で、通話に応答する。
一瞬の沈黙の後、鳴り響いた轟音の遠雷が、女の子の声と重なって聞こえた。
『みいつけた!』
テーマ:遠雷
8/23/2025, 1:15:25 PM