『明日に向かって歩く、でも』
私は時折、ふと思う。
時とは、一体どんなものだろう。明日に向かって歩くと言うが、わざわざ歩かずとも明日は勝手にやってくるものだ。
私の感覚としては、自分というものがあって、それを時がどんどん通り越していくような。なくなれば世界はその瞬間を永遠に保持するのだろう。
だが、同時にこうも思う。もしかしたら、時と言うのは自分から流れ出しているものではないかと。自分が存在することで、次の瞬間が生まれて来るのではないかと。
どちらの場合でも、時というものは死ぬその瞬間まで勝手に流れ行くものである。
だが、ここまで書いてこのお題の『明日』とは、時の流れにおけるものとは違う気がしてきた。それはきっと、自分で作っていく『理想の未来』を指しているのではないか。
未来は誰にも分からないし、私の考えでは分かるも何もまだ存在しないものだと思ってるため、自分の行動で幾らでも作れるもの。の筈だ。だが、それはつまり自分で作らねばならないものである、という意味になる。
作るのは大変だし、間違った場所に城を作り上げても理想の未来とは言い難いだろう。最適な場所で、最適な努力を積み重ねることで理想の未来に近づくことができる。と、私は思っている。
まあ、そのための努力は大変だし、間違ったかどうかなんて作り上げるまでわからなかったりもする。それゆえ、踏み出せない人が多い筈だ。
私は、踏み出す勇気よりも努力が出来ないため何もない。だが、努力出来ればそれなりのことは出来るはずだ。間違った城も、住めば都だったりする。もう一つ城を建てることも、できる人には出来るだろう。
明日へ一歩、歩みだしてみればいい。私はしないけどね。
1/20/2025, 10:25:43 AM