18 大地に寝転び雲が流れる… 目を閉じて浮かんできたのはどんなお話?
この島で一番雲に近いのは、うちの民宿の屋上だ。村役場と中学が二階建てでうちが三階建てっていう、非常にレベルの低い争いだけど。
ちなみに中学の生徒は一学年七人しかいない。高校進学か卒業の時にだいたいみんな、島を出て下宿する。
「私は絶対、明裕に受かるんだから。それでこんなとこは出ていくの」
単語帖をめくって、幼馴染の渚がつぶやく。漁師の娘のくせに頭がいい、と言われてしまうこの島を、渚はとてもとても嫌っている。だから勉強して、出ていくらしい。
俺のほうは船で本島の高校行きながら父親の漁船と母親の民宿手伝ってどっちか継ぐつもりだから、勉強は適当にしかやってない。人生はそんなもんでいいんじゃないかと思っている。魚とって料理して出せば生計立つわけだし。俺が継がないと廃業だし。
だから渚も似たような感じで行くのかと思ってたけど、どうやら違うらしい。本土にある頭いい学校に受かったら、親戚が衣食住の面倒見るよと言ってくれたようで、最近猛勉強している。
島には図書館も喫茶店もなく、渚の家には正午過ぎから夕暮れまで飲んだくれのおっちゃん達がいる。公園のベンチで勉強してると漁師の娘のくせにと陰口をたたかれる。
だから渚にとって一番勉強にいい環境は、うちの屋上だ。海と山がくっきりとよく見え、宿泊客用のシーツと布団カバーが干されて翻っている。トロ箱を積み上げたものにノートを広げて、ずっとガリ勉していた。こののどかでしみったれた風景の中で、人生をかけた戦いというものをしているんだろう。きっと。
港のおっちゃんにもらったタバコに火をつけた。俺が屋上に上がるのは、こっそりと喫煙したいからだ。
「あっまた吸ってる! 中学生なのに」
「いいんだよ、大人公認だから」
「離れて吸ってよ、臭い付けて帰ったら怒られちゃう」
「怒らないんじゃね? おじさんって放任じゃん。むしろ喜んだりして」
「そういうのは放任じゃなくて非常識っていうの」
渚は深い深い溜息をついた。感じ悪い態度だが、これでも初日はきちんと、俺に頼んできたのだ「落ち着いて勉強できる場所がないから、ここを使わせてほしい」と、真剣な顔で。ダメとは言えなかった。うちの親はたぶん、渚と俺がここでいちゃいちゃしているんだと思っている。渚の親も、いっそ俺と出来上がってしまえば島にとどまってくれるとか、そういう期待をしてなくもないと思う。だからうるさく言わない。俺だってまったく期待してないかと言えばうそになる。勉強は邪魔したくないし、渚に受かってほしい。でもなんか、やっぱさみしい。好きとかじゃないけど。いやもしかしたら好きなのかもしれないけど。でもそれってあまりにも手近すぎるんだよなぁ。
そういうもろもろをすっぱぁ、と深々吸った煙に乗せるようにして吐き出した。
もう、とまたため息をついて、渚が勉強を再開する。高い空の高い雲に向かって、煙が登っていく。タバコでくらっとして気持ちがよかったので、大の字に寝転んだ。
漁業会館の放送と、海鳥の声と、渚がさらさらと英単語を書きとる音がする。昼寝でもしよ、と思って目を閉じた。
5/5/2023, 9:41:21 AM