かたいなか

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「あのな。全員が全員、友人がいると、思うなよ」
ぼっち万歳。19時着の題目を確認した某所在住物書きは、開口一発、孤独への讃歌を呟いた。
「『自分の』、自分と友達との思い出。無い。
『友達の立場からの』、友達との思い出。知らん。
女友達だの男友達だの、『恋人未満』、あるいは『フられて友達に戻った相手としての』、友達の思い出。……ぼっち万歳」
ところで、本来存在しない筈の「思い出」を、事実として存在したようにガチで錯覚させる、「虚偽記憶」を作成することは可能だそうだな。
物書きはハタと閃き、「友達に虚偽の思い出を植え込む」という物語を考えて、結局うまくいかず諦めた。

――――――

最近最近の都内某所、某職場の日の入り間近。
人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者が、残業を終え、ロッカールームで帰宅の準備をしている。

「青森県。十二湖の青池」
そこにやって来たのが、同じく残業で居残りしていた友人。隣部署の主任の宇曽野。
ニヤリイタズラ顔で、右手を差し出し、ちょいちょい人さし指を振って何かを催促している。
「なんだ突然」
宇曽野の言った県と場所の名前に心当たりはあったが、捻くれ者は敢えて知らぬ素振り。淡々とロッカーを開け、蚊除け用の薄いサマーコートを取り出した。

「昨日の『賭け』の回答だ。例の『星空』の」
「お前と賭けをした記憶は無い」
「お前のとこの後輩とはしただろう。コーヒーとアイス代。3回で当たるかどうか」
「彼女は当てられなかった」
「らしいな」

カタンカタン。物を戻し取り出す静けさと、遠くでどこかの部署が言い争っている喧騒の中で、宇曽野がロッカールームの入口を、チラリ見遣る。
「懐かしい。あれからもう、9年か」
少しだけ大きな声で、宇曽野が言った。
「夏の北国。森と池と、デカい岩の海岸。波が岩と岩の隙間を叩いて、間欠泉のようになってた」
「『濡れるぞ』と忠告したのに、面白がって覗いて。その間欠泉の直撃を食らっていたのがお前だ」
返す捻くれ者は宇曽野が声量を張った意図も、部屋の入口を見た理由も気付いていないようであった。

「俺だけ完全に、びしょ濡れになってな。お前が車にバスタオルと着替えを積んでいたから助かった」
「どうせやらかすだろうと思ったんだ。あの冬もそうだった。函館行きの船で女の子の飛んだ帽子を取ろうとして海に落ちかけるわ、私の実家の庭で雪にダイブするわ、その雪の上に2階から飛び降りるわ……」
「3、4年前のアレか。そもそも2階のハナシは、お前が『ガキの頃やった』と聞いたからでだな。『ここは冬ともかく大量に雪が積もるから』と」
「だ、ま、れ」

はっはっは!軽く笑い飛ばす宇曽野は、捻くれ者に背を向け、プラプラ右手を振り、部屋を出ていく。
「またな。藤森」
明日も暑いらしいが、溶けるなよ。からかいの言葉は、しかしながら穏やかで、気遣いがにじむ。
「お疲れ様。宇曽野」
捻くれ者が友人を見送り、己の支度も終えてロッカーの鍵を閉めると、
宇曽野と入れ替わりに、「妙に絶妙なタイミングで」、耳のあたりをわずかに朱に染めた己の後輩が、ロッカールームに入ってきた。

7/6/2023, 10:44:52 AM