ささみ

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忘れられない、いつまでも。

 ——真珠。
 夜光が、おれを呼んでいる。まるで舞台の上でヒロインの名前を呼ぶときみたいな、甘くて、それでいてどこか挑発するような声で。少しだけ見上げる角度の眼差しは、逃がさないとでも言うようにまっすぐこちらを見ている。こんな風に呼ばれたことなんてないはずなのに、もう何度も聴いたことがあるみたいな。
(うわ、また夢だ)
 自覚した途端に意識が浮上して薄明るい部屋が目に入ってくる。昨日の夜、カーテンを中途半端に引いていたらしい。スマホの画面を見ると、そろそろ起きてないといけない時間だ。
(うう……なんであんな夢見ちゃうんだろう……)
 無駄なことだと分かっているけど、ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、夢の中の音声と映像と消そうと努力する。しかし、今日はこのままじゃまずい。だって。
「おはよ、真珠」
「おっ……はよう、やこう」
 だって、今日はフロアのシフトが丸かぶりで、オープンからラストまで一緒なのだ。油断すると夢で見た夜光を思い出してしまって、注意力散漫になってしまう。案の定、ロッカールームで着替えをしている現在、忘れられていないわけだけど。
「き、今日、夜光もラストまでだよね? 戸締りとかおれがやるから、夜光は片付け終わったら上がっていいよ」
「……なんだよ急に」
「だって夜光、会社もかけもちしてて大変だし。それに」
 今朝の夢になんとなく後ろめたさとか気まずさを感じているのは、口が裂けても言えない。
「お前だってバイトもしてるだろ。今週は三連休だから変な気を遣うなよ」
 言いながらエプロンを締める手に、腕に、腰に。意識しないようにすればするほど、かえって目が行ってしまう。
「おっ……おれ!フロア掃除してくる!!」
「え、おい、真珠」
「お先に!」
 とにかく今は少しでも夜光から距離を取るしかない。身だしなみの確認は後回しだ。塵ひとつないくらいきれいに床を掃いて、ぴかぴかに机を拭いて。ゴミと一緒にこの雑念も捨ててしまえばいい。
 そうできる自信は、残念ながらこれっぽっちもない。

5/9/2026, 11:20:11 AM