双子の妹が行方不明になったのは、私達が高校二年生の時だった。たった一通の手紙だけを残し、ある日突然妹は、私達がお世話になっている親戚の家から忽然と姿を眩ませた。あの時の手紙を、私は未だに大切に大切に保管している。妹──咲李(さり)が残した言葉は、たったの一言だけだった。
『ごめんね、柚季(ゆき)。』
······咲李が、現在の私達の保護者である親戚夫婦と折が合わないことは知っていた。いつのことだったか、随分と前のこと。多分、まだ中学生にもなっていない頃だっただろうか。その頃から咲李はもう既に、親戚夫婦と上手く付き合っていく自信がないのだと不安そうな顔で私に漏らしていた。そんな咲李をギュッと抱き締めて、頭を撫でて、「私が居るから大丈夫だよ」「何かあったら絶対に私が助けてあげるから」と何度も何度も言って聞かせた。「どんな些細なことでもいいから私には話してほしい」とも伝えた。咲李は声にならない声で微かに「うん······うん······」と頷きながら、私の背に腕を回し抱き締め返してくれた。だって私達は、双子なのだ。元々は一つの体だったはずのもの。それが奇跡的に、二つに分かたれたもの。咲李は私だし、私は咲李だ。だから咲李が抱えるものも、咲李が抱く感情も、等しく私のものだ。
咲李は元々、私よりも気が弱い性分の子だった。私は人見知りなんてすることもなく、学校でもすぐに友達を作れるタイプだったし、親戚夫婦にも比較的すんなりと懐くことが出来た。でも咲李は違った。人見知りが激しくて、知らない人に自分から話し掛けるなんてことは出来ないし、相手に心を開くことにも大幅な時間が必要だった。それだから、親戚夫婦との間にも見えない壁みたいなものが出来てしまった。私達、同じ体だったはずなのに。こうも性格が違ってしまうだなんて人って不思議だ、とずっと思いながら生きてきた。
······これは、咲李が行方不明になった後に人伝に聞き、知ったことだったのだが。咲李は高校のクラスにも馴染めず、軽いイジメのような被害を受けていたそうだ。双子は必ず別のクラスにされてしまう。咲李から直接話を聞かない限り私には、咲李がクラスで一体どのように過ごしているのか、どのような立ち位置に居るのか、どのような扱いをされているかなど、知る手段はなかった。それに私は、咲李のことを絶対的に信頼してしまっていたのだ。もしも万が一何か大変なことや悩ましいことがあった際には、子供の頃に親戚夫婦の件について話してくれたあの時のようにきっと私に話をしてくれるだろう、と。私を頼ってきてくれるはずだ、と。そう、信じきってしまっていたのだ。どうして? どうして咲李は私に何も話してくれなかった? 相談してくれなかった? 頼ってくれなかった? 泣いて縋ってくれなかった?
······二つに分かたれて産まれてきてしまった最大の弊害だ、と思った。だって、一人と一人じゃなく、一人で二人だったなら。私は咲李のことを、頭の中から心の隅の方まで余すことなく知ることが出来たはずだ。不安も、苦悩も、苦痛も、何もかも。全部全部、共有出来たはずなのに。
咲李が居なくなって、五年の月日が経とうとしていた。あれから私の人生は、決定的な何かを欠いてしまったかのように味気ないものとなった。まるで体の半分を失ったみたいな生き辛さを抱えて日々を過ごしてきた。
大学に進学すると同時に、親戚夫婦の家を離れた。ずっと捨てられないまま放置されていた咲李の私物達も一緒に荷物に紛れ込ませて。一人暮らしの部屋の中に咲李の私物があるだけで、自分は一人じゃないんだと思えた。私は咲李と二人で暮らしているんだ、と錯覚することが出来た。今でも咲李と一緒に生きているんだと、そんな虚しい幸福感にズブズブと溺れた。何処の誰に後ろ指を指されても、滑稽だと笑われてもいい。それでも、私は幸せだった。
両親を早くに事故で亡くした私達姉妹は、小学校の途中から親戚夫婦に引き取られる形で生まれ故郷を去ることとなったわけだが、あそこは都会からは離れており自然が豊かな地で、とてものどかな田舎町だった。あの頃は咲李も私に負けず劣らず元気いっぱいな子供で、見た目も含め私達二人に差異などほぼなかった。あの頃、あんなに元気で溌剌としていた咲李は何処に消えてしまったのだろう。ずーっと、隣に居たのに。いつの間に居なくなってしまったんだろう。
それは恐らくきっと、両親の死がトリガーだったのではないかと今の私は推測する。両親の死にショックを受け、故郷から離され、ウマの合わない親戚夫婦の家で生きていくことを義務付けられたあの時。生き写しだったもう一人の“私”は死んだのだ。そうして咲李は、私とは真逆の性格へと変貌してしまった。そして遂には、何もかもに耐えきれなくなって自ら姿を消してしまったのだ。
もしかしたら咲李は、私が気付いていなかっただけで私に対しても壁を感じていたのかもしれない。自分の置かれている状況、立場、周りを取り巻く様々な悩み。それを私に伝えたところで、理解されないと思ったのではないだろうか。私達は、あまりにも違いすぎたから。あまりにも、掛け離れすぎてしまったから。元々は、同じだったはずなのに。
でも、わかる。わかるよ、咲李。あの頃の咲李にどんどん近付いてきた今の私だったら、咲李のそういった思考にも理解を示してあげられる。いくら双子だからって、ずっと一緒だったからって、何でも話し合える仲だったからって、相手に隠しておきたいことって必ず出てくるもんなんだろうね。
私はね、咲李。ずっと、ずっと、ずーーーーっと、咲李に執着していたんだ。私は、もう一人の“私”を愛しすぎた。愛しすぎた結果、それは形を失いドロドロに濁りきり、心の一番底の位置に「執着」と「依存」と呼ばれるものの形で固まり、癌細胞のように私の体を蝕み続けた。
会いたい。会いたい、会いたい、会いたいよ。咲李に会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい。
······だから私は、少し早めの卒業旅行として生まれ故郷の地に一人で向かった。何となく、わかったんだ。あの日突然消えた咲李が一体何処に行ったのか。だって、今の私も同じ気持ちだから。
「いつかまた、お家の裏山で遊びたいね」
親戚夫婦に預けられてまだ間もない頃。就寝のために布団に入った私達は、暫くの間、小声でお喋りに興じていた。そんな時に、咲李は徐にそう言ったのだ。元実家の裏手には広大な山が広がっていた。大人達からは「あまり奥に進むと迷子になるぞ」だとか「鬼婆に追い掛けられて食べられるぞ」とか、そういう注意を口酸っぱく言われ続けていたのだが、私達はその裏山で遊ぶことを大層気に入っていた。勿論、私達姉妹は大人の言うことはきちんと聞いていたので、あくまでも入口に近い辺りをウロチョロと駆け回っていただけではあったのだが。
「奥の方にはまだ行ったことなかったから、大人になったら一緒にまた裏山で遊ぼうよ」
「楽しそう、賛成! 鬼婆対策、しっかりしてから行かなきゃね!」
布団の中で丸まり、コショコショ声でそんな会話を交わして、くふくふと幼い私達は未来を思い描き、笑い合った。
ねえ、咲李? 咲李はあの山に向かったんだよね? 私達の産まれた場所。私達の思い出の場所。未来の約束をした場所。ねえ、私は大人になったよ。大人に、なっちゃったよ。一人だけ。まだ十七歳だったけど、咲李はあの山に帰りたかったんだよね? 遅くなってごめんね。私も今から行くから。
そうして私は、何かに導かれるようにして深夜の山へと足を踏み入れた。
願わくば、あの子と同じ所に辿り着けますように──そんなささやかな祈りと共に。
1/15/2025, 1:21:02 PM