116.『夜空を越えて』『スノー』『遠い鐘の音』
『きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから』
空を見上げていたからたろう。
ふと、昔好きだった『星の王子さま』の一節を思い出した。
でも今の私には、王子様の星を探すことはできなかった。
その視界は涙で滲んでいたからだ。
「……私、悪くないもん」
仕事場でトラブルがあった。
私だけの責任じゃないのに、同僚たちは責任を私一人に押し付けた。
一方的に咎められた私は、遅れを取り戻すための仕事も押し付けられた。
業務終了を告げる鐘が鳴ると同時に、そそくさと帰っていく同僚たち。
誰も私を気遣うことは無く、一人職場に残される。
遠い鐘の音を背に黙々と作業を続けて、仕事が終わったのは0時過ぎ。
私はへとへとに疲れ果てていた。
だが今日のような事は珍しくない。
私が勤めている会社では責任逃れが横行しており、弱い立場の人間が責任を取らされる事が常態化していた。
そして職場で一番若い私は、格好の餌食。
何か起こるたびに自分の責任にされた。
『働くという事は、理不尽に耐える事』。
そう思って我慢してきたけれど、もう心は限界だった。
公園にやって来たのも、特に意味のあったわけじゃない。
ただとても疲れていて、どこでもいいから休みたかったのだ。
そのまま横になって眠りたいほど私女は疲弊していた。
そうしてやって来た公園で空を見上げて、どれくらいの時間が経ったのだろう……
滲んだ視界の先で、光が瞬いたことに気づく。
「なんだろう?」
涙をぬぐって空を見上げる。
そして私は心底驚いた。
たくさんの流れ星が、空を駆けていたからだ。
「綺麗……」
私は、朝のニュースを思い出した。
アナウンサーが熱っぽく、今日の流星群について語っていたことを。
『そこまでじゃないだろ』とすぐに忘れたのだけど、私は考えを改める。
それほどまでに、目の前の光景は幻想的だった。
まるで子供が庭を駆けるように、楽しげに空を駆けていく流れ星たち。
夜空を越えてどこへ行くのだろう。
それは分からない。
「羨ましいなあ……」
私は思った。
自分にも幸せを分けて欲しいと。
理不尽ばかりで報われない自分に、何かご褒美が欲しい。
そう思いながら空を眺めていると、ひときわ光り輝いている流れ星があることに気づく。
そのままなんとなく眺めていたが、その星は徐々に明るくなっていき、やがて公園全体を照らすほど明るいものとなった。
「こっちに来る!?」
『マズイ』と思ったときには、もう遅い。
流れ星は、あっという間に公園へと落ちた。
幸いというべきか、私の近くには落ちてはこなかった。
少し離れた花壇に落ちたようで、その場所に砂煙が舞っている。
その様子を呆然としながら見ていると、砂煙の中からあるものを見つけ、慌てて駆け寄った。
「赤ん坊がいるわ!」
流れ星の落ちてきた場所には、幼い子供がいた、
愛らしい女の子で、肌は玉の様に美しく、パウダースノーの様に柔らかい。
雰囲気もどことなく上品で、将来は美人になると思われた。
「まるでかぐや姫ね」
信じられない気持ちだったが、私は確信した。
この子は、流れ星からの贈り物。
幸せを求める私のもとに、天使のような女の子を遣わせたのだ。
「ありがとう、お星さま。
私、頑張るわ」
空を見上げてお礼を言う。
きっとこの子は、私に幸せを運んでくれるだろう。
愛おしい我が娘を抱き上げると、何か握っていることに気が付いた。
「これは…… 百合の花?」
赤ん坊は、一本のバラを大事そうに抱えていた。
その時、星の王子さまの言葉を思い出した。
『みんながたった1本のバラを探している』。
よく覚えていないけど、そんな言葉だったはず。
この娘はバラじゃないけれど、もう自分の花を見つけたらしい。
「この花、とても綺麗ね……
そうだわ!」
私の頭に天啓が降りた。
「良いことを思いついたわ。
あなたの名前は――」
✿
「だから私は百合子っていうの。
感動したでしょ?」
「……私は何を聞かされているの?」
私の熱演を聞いて、友人の沙都子が困惑気味に尋ねてくる。
想定内の質問に、私ははっきりと答えた。
「私の誕生秘話だよ。
私のこと、『人間とは思えない』って悪口言うから」
そう言ってドーナツを丸々一個頬張ると、沙都子が「やっぱり人間じゃなくてリスよ」と呟いた。
「ただの軽口から、まさか本当に人間じゃない可能性が出てきて、さすがの私も動揺しているわ。
まさか本当の話とか言わないわよね?」
「それこそ、まさかだよ!
お母さんから子守唄代わりに聞かされたけど、信じてたのは小さい頃だけ。
高校生にもなって信じないよ」
「まあ、そうよね」
沙都子は、安心したように息を吐いた。
「ただね。
この話は少しだけ真実があるの」
「まさか、『自分は名前の通り、百合の様に可憐です』とは言わないわよね?」
「興味深いね。
その件について、後でじっくり話し合おうか?」
「いいアイディアだわ。
ボロクソに言い負かしてやるから覚悟しなさい!」
「そこまで言う?」
「いいから続きを話なさいよ」
なんか釈然としない思いを抱えながら、私は話を続ける。
「この話は嘘ではあるんだけどさ、仕事で責任を取らされたのは本当みたいなんだ」
「ええ。
妙なリアリティがあったから、そうじゃないかと思ったわ」
「それに関して後日、職場を相手取って裁判起こした」
「えっ」
「パワハラセクハラもすごかったらしくてね、がっぽり慰謝料を取ったみたい。
完全勝利だって」
沙都子は驚いた顔をして、私を見る。
「これは、お父さんから聞いた話なんだけどね。
それ以降も宝くじが当たったり、懸賞に当選したり、お父さんが昇進したり……
私が生まれてしばらくの間、いろいろ良いことがあったんだって」
「まさか……」
沙都子が、ゴクリとツバを飲んだ。
「だから、この話はほとんど嘘なんだけど、流れ星が願い事を叶えたのは本当なんだよね。
お金が増えて、超幸せって言ってたから」
「さすがに、偶然だと思うけど……」
「私もそう思うけど、お母さんは信じてることは間違いない。
私のことを、未だに『星の王女様』って呼ぶんだもの」
12/20/2025, 2:16:30 PM