ミヤ

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"秘密の標本"

先生の書斎はいつも雑多な物で溢れ返っていた。
開きっぱなしの本に、ばらばらに散らばった書類。
ペンも洋墨も定規も、休憩用の枕や毛布も、知らぬ間にあちこちに移動しているのが常だった。
天球儀の隣に地球儀が並び、その隣にサッカーボールが飾られていたり、そうかと思えば、何処かの国の得体の知れない置き物が無造作に床に転がっていたり。自由に書籍を閲覧する権利と引き換えに定期的な部屋の整理整頓を任され早数ヶ月、雑然とした室内と怪しげな代物には慣れていたつもりでいたけれど、その時見つけたそれは他のものとは幾分毛色が違っていた。
しげしげと机の上に置かれた小瓶を、小瓶に満たされた液体に沈む丸い球体を眺める僕に気付いた先生は、ああそれ、と照れたように言った。

"ああそれ、ぼくの奥さん"

"綺麗でしょ。奥さんが亡くなる時に、もう見られなくなるのが惜しくてね。こっそり貰っちゃった"

"死ねばただの物体だからね。腐ったり、燃やされたりする前に貰ったもの勝ちというか。ほら、綺麗なものはずっと手元に置いておきたくならない?"

子供っぽかったかな、と頬を掻く。
書棚に歩み寄った先生が曇り硝子の嵌った扉を開けると、群れを成してこちらを見つめる小瓶の中身と視線が合った。

"それから暫くは集めること自体に嵌ってしまってね。気が付いたら、ほぅらこんなに沢山。引き出しの中にもあるから観たいならどうぞ。
……あぁそういえば。君らも綺麗な瞳をしているよねぇ。良ければぼくにくれないかな。大事にするから"

ガタンッと音を立て、真っ青になって書斎を飛び出していった同輩の背中を見送り、溜め息をひとつ。
悪趣味ですね、とジト目を向けると、先生はカラカラと笑っていた。

"未来ある若者を揶揄うのは老人の特権だからね。
君は分かっていると思うけど、これは義眼だよ。昔、知り合いと一緒に研究していたんだ。なかなか上手くできていると思わないかい?"

"ほら、これなんか君の瞳の色にそっくり"と引き出しから小瓶を取り出す先生に、再度溜め息を吐く。


"確かにそれは上手くできていますけど。
でも、『これ』は違いますよね。
だからいつも、普段からご自分で片付ける癖をつけてくださいと言っているじゃないですか。せめて触れられたくない大事なものは仕舞っておいてください。
あと、咄嗟に追い払うためだったとはいえ、さっき出て行った人には後で謝った方がいいと思います"

一瞬の硬直の後、先生はゆるゆると息を吐いた。
僕をうかがうように見て、ばつが悪そうに肩をすくめる。

"……残念。
少しくらい騙されてくれないと可愛げがないぞ、君"

そうして先生は。
沢山の義眼の中に紛れ込んだたった一つの本物を、
そっと、愛おしむように持ち上げた。

11/2/2025, 4:58:08 PM