鏡の森 short stories

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#020 『精霊の花日記』

 旧街道沿いの古い屋敷の前には広大な庭があって、誰もが四季折々の花を楽しめるようにと開放されていた。屋敷の女主人は物静かな人で、自由に庭を散策する人々をいつも穏やかな目で見つめていた。
 テーブルの上には香り豊かな紅茶と茶菓子、それに古びた表紙の一冊の本。中身は女主人が気まぐれに描く花の線画で、白紙のページがなくなれば大半の紙を入れ替え、抜いたものは製本して屋敷の書斎に保管しているのだという。
 ただし本の最初のページだけは一度も抜かれることなく、ずっと同じ位置にあり続けた。他はすべてモノクロの線画なのにその一ページだけには花びらが一枚ずつ貼り付けられ、ところどころに数字が記されている。
 好奇心旺盛な子供の頃、その意味を尋ねたら女主人は微笑んで言った。
「一年が過ぎたことをすぐ忘れてしまうから、その年最初に見つけた勿忘草から花びらを一枚だけいただいてるの」
 よく意味も分からないまま「ふーん」と答え、それきり忘れ、その意味に不意に思い至ったのは十数年が過ぎ、すっかり大人になってからのことだった。
 女主人は年をとらない。なんでも先祖返りなのだそうで、一族には時々、そういう性質の女性が生まれるのだそうだ。
 ある時から突然食事量が落ち、睡眠時間が増えて、それから髪や爪が伸びなくなった。不老を悟ったその年から、彼女は花日記を始めたのだという。
 その枚数を数えてみたいという誘惑は、頭をよぎっただけですぐに消えた。それは彼女だけが知っていればよいことだから。
 一年前、自分は今より一歳若かった。
 そんな当たり前のことが当たり前ではない時間の中を、彼女はただ一人過ごしている。

お題/1年前
2023.06.17 こどー

6/16/2023, 6:00:46 PM