sairo

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つきり、と胸に痛みが走る。
視線の先。親友とクラスメイトの彼が話している。
ただそれだけ。いつもの光景だ。
けれど胸は相変わらず、小さな痛みを訴え続ける。ざわざわと心が落ち着かなくなる。

「どうしたの?」

私の視線に気づいたのか、親友が不思議そうに声をかける。それに作った笑顔で何もないよ、と答えながら、横目で彼を見た。
無気力で気怠さで細まる目は、親友を見ている。その目に胸の痛みが増した。

「本当に大丈夫?保健室、一緒に行く?」
「どうした?調子でも悪いのか」

僅かに寄った眉と、いつもよりも口数が少ない事を心配する親友を見て、彼もこちらに近づいてくる。距離が縮まる程にざわつく心を隠すように、きつく彼を睨み付けた。

「別に大丈夫だから。あんたを見て、ちょっと嫌な事を思い出しただけよ」
「なんだよ、それ」

訝しげに眉を潜める彼から視線を逸らし、立ち上がる。

「え。どこ行くの?もうすぐ授業、始まるよ」
「保健室、行ってくる。やっぱり調子が悪いみたい」

着いてこようとする親友を手だけで制して、教室を出る。
しばらくして鳴り響くチャイムで誤魔化すように、小さく溜息を吐いた。
失敗した。素直にそう思った。





落ち着かない。
親友が彼と一緒にいる姿を見る度に、心がざわついている。引っ込み思案で、私以外に友達を作れなかった親友が、相手が誰であれ交友関係を広げるのはいい事だ。頭では分かっていても、心がそれに疑問を突きつける。

「最近、何か変だよ?悩み事があるなら、私、聞くけど」

怖ず怖ずと声をかける親友が、眉を下げて声をかける。心の底から私を心配する様子に、ごめん、とだけ告げて、首を振った。
言える訳がない。言葉にして、形を持ってしまう事がとても怖い。

「どうした?」

親友を追って近づく彼に視線を向ける。
普段とは異なり、どこか鋭い目をして私を見る彼に、心がざわつき出す。
ざわざわと、落ち着かない。この目は嫌だ。
心の内を全部見透かすような、真っ直ぐな視線が怖い。
彼から逃げるように親友を見た。変わらず心配そうに眉を下げて、口を開き――。

唇の端がぐにゃり、と歪んだ。

「え?」

目を瞬く。
その僅かな時間で、親友の顔は元に戻っていた。

「どうしたの?」
「今。唇、が」

困惑する親友から視線を逸らし、胸に手を当てる。
今のは何だったのだろう。不自然に歪む唇が目に焼き付いて離れない。
一つ深呼吸をする。それでも心は落ち着かない。
逆にさらにざわついて、煩いほどだ。

「唇、ね」
「私、何か変だった?もしかして、何かついてる?」
「そうじゃねえよ。何もついてねぇから、そんなこすんな」

彼と親友の会話を聞きながら、けれど二人の顔を見るのが怖くて教室内を見渡した。
それぞれ楽しそうに会話を楽しんでいる。
それなのに、ちらちらとこちらを気にするように視線を向けてくる。ひそひそと何かを話すクラスメイトに、心が大きくざわついた。

――嫌だ。ここにいたくない。

込み上げる思いに、立ち上がる。それに何かを言いかける親友を気にせず、教室の外へと飛び出した。





屋上に一人。
授業終わりのチャイムを聞きながら、膝を抱えて蹲る。
一人になっても、心が落ち着かない。ざわついて、苦しくてしかたがなかった。
どうしたんだろう。自分が分からなくなってくる。
最初は親友と彼が話していた事に対して、心がざわついていただけだった。それなのに今は、見るもの、聞く音すべてに心がざわつく。
クラスメイトの姿も。噂話をする声も。屋上からの景色も。チャイムの音ですらも。

――何かがおかしい。

耳を塞いで、きつく目を閉じる。
怖い。うまく言葉に出来ないけれど、違うのだ。
ここは違う。私のいたい世界ではない。


「こんなとこにいたのかよ」

耳を塞ぐ手を取られ、聞こえた声に目を開けて顔を上げる。
彼の感情の読めない目が、私を見下ろしていた。

「っ、離してっ!」

腕を振り解き、後ろに下がる。座っていたままの体制では、それほど距離は開かなかったけれど、彼は無理にその距離を縮めようとはしなかった。
ただ私を見ている。静かに見定めている。
彼の背後。気づけば親友が凪いだ目をして、私を見ていた。
親友だけではない。クラスメイトや教師達が、無言で私を見ている。無表情ないくつもの視線が、突き刺さる。
心がざわつく。違和感が大きくなっていく。

「――」

親友が何かを言っている。けれど何を言っているのかが分からない。
違和感しかない、その言葉。昔流行った、音声を逆再生しているかのようで。
耳を塞ぎたくなるけれど、彼の目がそれを許さない。たくさんの視線の中で、彼だけが強い意志を持って私を射竦める。

「ぃ、や。やめて。私を、見ないで」

彼から目を逸らせない。耳を塞ぐ事が出来ない。

「見ないで。お願い」

ぐにゃり、と。視界の隅で、クラスメイトや教師達の顔が歪む。どろり、と絵の具が混じり合うように溶けて、目が、鼻がなくなり。唇がなくなって、輪郭だけになっていく。
その輪郭もぼやけていく。皆の輪郭がぼやけ、複数が一つの塊になってしまう。
まるで失敗した絵を塗りつぶしていくように。作った作品を壊して行くように。
歪んで、崩れて。
彼と親友だけを残して。
すべてが壊れてなくなっていく。


心がざわつく。目を逸らし続けていた違和感を突きつけられる。

――ここは、私の欲しかった世界じゃない。


「止めてよ。どうして」
「もう、十分だろ」

彼の静かな声に、唇を噛みしめた。返す言葉を思いつかず、嫌々と首を振って答える。

「いい加減にしてくれ。面倒なのは嫌いなんだ」
「じゃあ、放っておいてよ!」

必死に叫ぶ。後退る背がフェンスに辺り、小さく音を立てた。逃げ場がない事に焦り、さらに声を張り上げる。

「私。私、ちゃんと出来てたでしょ?記憶の通りに私を演じ切れていたでしょ?だからこのままでいさせてよ!」
「何言ってんだ。出来てないからこうなってんだろうが…まあいいや。面倒だし、このままさようならって事で…さっさと出て行ってくれ」

彼が一歩だけ距離を縮めた。いつの間にか手にしていた透明な石を私に投げて――。

ぶつり、と。意識が暗転した。





「おい。大丈夫か?」
「――たぶん。くらくらするけど」
「一応、保健室で見てもらった方が良いかな」


放課後の屋上。
頭を抑え呻く少女に、少年は手を差し出す。その背後でもう一人の少女は泣きそうに様子を伺いながら、立ち上がる少女と少年に声をかけた。

「大丈夫。大分落ち着いてきたから」
「まあ、保健室に行った所で意味はないしな」
「変な感じ…何がどうなってんの?」

立ち上がり、目の前の二人を見ながら眉を寄せ呻く。それにおろおろとしながら彼女を支えようと少女は寄り添い手を繋いだ。

「何がって、あれだよ…乗っ取り?」
「何それ?私、体を乗っ取られたって事?」

乗っ取りの言葉に顔を顰め、寄り添う少女の頭を繋いでいない方の手で撫でる。

「そういう事だな。隣のクラスで女子が一人、数日前から昏睡状態らしいぜ。ついでに、今は使われていない空き教室で、呪いの痕跡も見つかってる」

そう言って少年は、どこからか取り出した紙切れをひらひらと振ってみせた。揺れる紙には、黒や赤で何かの記号やら文字やらが書き連ねてあるらしかった。
はあ、と彼女は溜息を吐く。少女の頭を撫でる手を止めないまま、なんで、と疑問を口にした。

「さあ?それは本人に聞かないと分からないな」
「戻って良かった。このままだったら、どうしようかと思って…とっても怖かった」
「ごめんね。心配かけた」

繋ぐ手に少しだけ力を込める少女に優しく声をかけ。大丈夫だよ、と頭を撫で続けていれば、少女の強張った表情が次第に安堵したように笑みを浮かべる。
それに笑みを返してから、少年に視線を移し、睨み付けた。

「あんたのせいな気がするわ。ほんと、迷惑かけないでよね」
「え。助けたのに、なんで俺、怒られてんの?」
「あんたが底なしの馬鹿だからじゃない?」
「ひでぇ。こんな事なら、ほっときゃよかった。どうせ何もしなくても、剥がれていっただろうし」

疲れたように嘆息する少年に、どういう意味かと目線だけで尋ねる。少女も気になるようで、少年へと視線を向けた。
二人の視線を受けて、少年は肩を竦め。

「だって、いくら記憶があろうと、それを元にその体の持ち主になりきろうと、魂が違うんだから。体に合う魂は、一つだけ。適合しない臓器を移植した所で拒絶反応が出るように、体に拒絶されて入り込んだ魂は結局弾かれるだけだ」

だから中身の入れ替えなんて、意味ないんだよな。と。
手にした紙を握りつぶし、心底疲れたように少年は息を吐いた。



20250315 『心のざわめき』

3/15/2025, 2:11:12 PM