徒然

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″やるせない″とは″遣る瀬無い″と書くらしい。
 遺ると書いて″やる″と読む事自体初めて知った。遺の意味は何かをのこす、何かがのこるという意味の他にそこへ向ける、差し向ける、という意味もあるらしい。
 この漢字一つでやるせなさの8割は表しているようなものだ。
 瀬の字を見てみると、急流や水の流れを表すと辞書には書いてあった。面白みが無い程にそのままの意味だ。
 先程の遺の字と合わせたのは何故だろうか。水に流せとでも言うのだろうか。余計なお世話だ。
 水に流せるようなものではない気持ちが、ぶつける先もなく自分の中に溜め込まれてしまう気持ちが、やるせないという表現になるのだ。
 水に流せなどふざけるな!と思うのだが、実際がどうかはわからない。恐らくこんな理由ではないだろう。瀬の字には水の流れ、渦という意味があるらしいので、気持ちが渦になって流れる…ぐるぐると思考が回るようなそういう意味では無いかと思う。
 実際がどうかは、その筋が専門の人間に聞いて貰いたい。これはあくまで筆者の憶測に過ぎないのだから。
 しかし、私としては「悪い気持ちは水に流せよ」なんて軽口を叩く様な意味合いでこの字が使われていたら面白いと思うのだ。

 ところでこの″やるせない″という言葉を″遣る瀬無い″と表現するのは秀逸ではないと思わないだろうか。
 無いというのはそのまま無、ゼロ、存在していない、という意味で捉えれば良いのだろう。
 瀬は恐らく感情を、遺はその方向を表している。感情を向ける先が無いという意味の言葉を、意味を含んだ漢字を使い表現している。これがとても面白いと思うのだ。

 漢字は中国から日本にやってきたんだったか。小学校で歴史を学んだ際、そんな話を聞いた気がする。
 そもそも平仮名しか無かった日本に渡ってきた漢字という文字を、当時の人達はどう当てはめていったのだろう。
 この″やるせない″という言葉も、やはり漢字が渡来するよりも前に存在していて、その後気持ちの表現がよりわかりやすくなる様に、言葉の意味に合う漢字を当てはめていったのだろうか。
 まるでパズルの様だとは思わないか?

 言葉遊び…と聞けば、文系の分野のような気もするが、こういうパズルの様な要素は理系分野なのかもしれない。しかし、そもそも理系分野の人は言葉の意味を考え、漢字の意味を考え、連想ゲームの様ない当てはめ方をする考え方は苦手なのだろうか。やはり、全て文系分野の人間が解く方が早いのだろうか。
 
 私は、こういう形で連想から連想を繋げていき思考を続けていくのが大好きだ。
 1つの事柄から浮かび上がる事をさらに考え、そこから分岐する物事について考え、それを次、次、と頭の中で想像を繋げていく。結果大きな連想となり最終的には何について考えてたのかわからなくなる程に脱線していく。
 そう。今この文章の様に。

 昔の人は、同じ様に言葉の意味を考えながらも、その言葉の意味がぶれない漢字を探していたのかと思うと、偉大だと思う。
 よく漢字のテストで熟語の問題などが出た時に、漢字の意味で覚えると良いと教わった。
 例えば遺跡なら遺っている跡、痕跡。浅瀬なら浅い水場など、熟語の意味から漢字が連想出来るのだ。昔の人はそこまで考えて漢字を当てはめたのだろう。
 何故そうしたのか。連想出来ないと覚えられないとでも思ったのか。何にせよこれにより漢字のテストで救われた…というわけではないが(筆者は漢字の書き取りが苦手だった)おかげで漢字それぞれの意味を考えるという事はする様になった。

 さて、ここまで「言葉の意味を漢字で表現している」事について、過去の人間達…私達のご先祖様に当たるかもしれない人々を賞賛してきたのだが、その過去の人達は今の状況を見たらどう思うだろう。
 というのもだ、この世の言葉の殆どには漢字が当てはめてある。これは過去の日本人が頑張ってくれた成果であろう。しかし、最初に書いた″やるせない″を″遣る瀬無い″と書く事を初めて知ったように、世の中には漢字で書く言葉が存在しているが、平仮名で表記するのが一般的な言葉というのが確かに存在している。
 例えば「いたたまれない」という言葉は、やるせないな類義語なのだが、漢字で書くと「居た堪れない」と書くらしい。これも漢字が存在するとは知らなかった。
 身近な言葉でいうと「ありがとうございます」という言葉、漢字で書くと「有難う御座います」だが、漢字で書かれているものなどあまり見ない。
 単語なら「いつ」と「何時」や「あらかじめ」と「予め」など、漢字で書かない訳ではないが、平仮名表記の方が多い言葉だ。
 問題は何故平仮名表記なのかという事。「ありがとうございます」や単語の物に関しては、ビジネスマナー上平仮名のが失礼に当たらないという意味がある。″いつ″そうなったのかはわからないが、何のための感じなのかと思ってしまう。
 この″いつ″も″何時″と表現するのはあまり見ないだろう。結局はそういう事だ。漢字はあるが、平仮名表記が主流の物は漢字の存在が放棄されている。
 漢字の方からしたら自分達は存在しているのに使われず怒っていそうなものだ。これを過去の人間が見たらどう思うだろう。

 漢字が渡ってきた後、自分達が苦労して言葉の意味に合わせた漢字を選び、単語を作っていったというのに、その漢字は一般的には使われず平仮名が主流となっている言葉が世の中には沢山あるのだ。
 しかし、それを頭から否定はしないだろう。理由と理解が出来て、平仮名と漢字の使い分け、平仮名のが大切さ、言葉の意味を理解する為に必要な措置……理由は沢山あるのだから。
 それでも、やはり自分達が選び作った漢字を使った単語を、言葉を使って貰いたいと思うのが人間という物ではないだろうか。
 それこそ「やるせない気持ち」というのがピッタリだ。行き場の無い、責めるに責められない気持ち。昔の人が今の状況を見たところで、きっと同じように平仮名が主流の言葉は、平仮名表記で使うのだろうから。

 そんな事を考えてしまうと、漢字がわからないからとなんでもひらがなにしてしまうのは、過去の漢字を言葉に当てはめてくれた人々に申し訳無いとすら感じてしまう。
 私はとにかく漢字を書くのが苦手だ。読むだけなら出来るのだが、いざ文字に起こそうとすると出てこない。図形のようで、線が多くて、似た様な形も多い。小中高と漢字のテストはいつも赤点だった。
 しかし、過去の人達に敬意を払う為にも大人になってしまったが、少しは頑張って覚えたい。覚えたいとは思っている。
 何せどれだけ書き取ろうとも、覚えられないのだ。自分でも不思議だ。
 自分のポンコツな頭に、遣る瀬無さを感じているので、過去の人達には努力の気持ちだかは汲み取って貰って、漢字が書けない事には目を瞑って貰いたいと思う。


#漢字と平仮名【やるせない気持ち】

8/24/2023, 7:58:41 PM