街路樹の下で、ぼんやりと佇む影を見た。
何気ないふりをして、少しだけ近づいてみる。こちらに背を向けて立つその姿はどこか寂しげだ。
誰かを待っているのだろうか。時折見かけるその人は、いつも遠くを見て溜息を吐いている。その表情はいつも悲しげで、笑顔を見たことは一度もない。
笑顔を見てみたい。いつも見ているのが悲しい顔だからか、最近彼女を見かける度にそう思うようになった。
悲しい顔をする理由を聞いてみたい。誰を待っているのか。その誰かは本当に待たなくてはいけない人なのか。
もし叶うのならば待つのを止めて、一緒に遊びに行きたい。
そんなことを思いながら、彼女の横を通り過ぎていく。
結局思うだけで、声をかける勇気はないのだ。臆病な自分に呆れて、小さく息を吐く。
次こそは声をかけられるだろうか。さりげなく近づいて、友達になれたりしないだろうか。
臆病な自分には叶えられないいくつものもしもを想像して、何度目かの次こそはを繰り返した。
優しいあの子に、今日も会えなかった。
一人ぼっちの自分に声をかけてくれた可愛い子。恥ずかしそうに、けれど精一杯の勇気を振り絞って声をかけてくれた友達。
待ち合わせの約束をしたわけではない。それでも会いたくて、いつかのように一人でいれば声をかけてくれるのではないかと期待して、こうして今日も待っている。
あの子のことを、自分はよく知らない。どこに住んでいるのか、年齢すら聞かなかった。
聞かなくてもいいような気がした。気ままに散歩をしたり、読んだ本の感想を言い合ったりするのに、必要なものではないと思っていた。
今は少しだけ後悔をしている。会えなくなってしまえばそこで断たれてしまうほどの、細い繋がりだったと気づいてしまった。
通り過ぎていく人々を、何気ないふりをして眺める。
どこにもあの子はいない。はにかみながら差し出された手は、どこにもない。
寂しくて目を伏せた。
「あれ……?」
思わず声を上げていた。
それはほんの僅かな違和感。いつものように一人佇む彼女を見て感じる、言葉にできない何か。
何だろうか。絡まってしまった糸を解く時のような、歯に何かが挟まったようなもどかしさに眉が寄る。
「なんだろうなぁ」
彼女の背を見ながら考える。一向に答えが出てこないことに、いっそ叫び出してしまいたい。
落ち着くために深呼吸を繰り返す。何度か繰り返して、そういえばとぼんやり思う。
どうして自分は、こんなにも彼女のことが気になるのだろう。
いつも悲しい顔をしていたからだろうか。けれど何故彼女なのだろう。悲しい顔をしているのは、彼女以外にもたくさんいるというのに。
そもそも、いつから彼女を目で追い始めたのだったか。何気ないふりをして彼女に近づこうとしてどれくらいの時間が経ったのか。
考え出せば、疑問は次々と湧いてくる。いつものように静かに近づく足が、このまま進むべきかを迷ってしまう。
彼女のことを、自分はまだ何も知らない。けれど何となく知っているような気がする。
どうしてだろうか。記憶や認識の差異に内心で混乱し、無意味に視線を彷徨わせる。
「あ……」
目の前で彼女が小さく肩を震わせた。
ゆっくりとこちらを振り返る。悲しげだったはずの目が驚きに丸くなり。
目が合った。
あの子を待ちながら、最初の出会いを思い出す。
一人でいた時に、何気ないふりを装って近づいてきたあの子。少しだけ恥ずかしそうに、手を差し出した。
「え……?」
そこで違和感に気づく。それはとても小さな、けれど確かな綻びだった。
「いつ、あの子に会ったんだろう?」
あの子に初めて出会った日がいつなのか、いつからこうして待つようになったのか。
靄がかかったかのように、とても曖昧だった。
初めて交わした言葉も覚えていない。確かとてもおかしなものだと思っていたはずなのに、どうして忘れてしまったのだろう。
眉間に皺が寄る。綻びに気づいたことでどんどんと広がって、目に見える違和感として形を持ち出していく。
あぁ、そういえば。
あの子はどんな姿をしていただろうか。
気づいて、胸が苦しくなった。
「あ……」
泣きそうになって肩を震わせた時、後ろから小さな声がした。
聞き覚えのない声。懐かしいと思えるその響き。
ゆっくりと振り返る。迷うような顔をした少女と。
目が合った。
「えと……その……はじめ、まして」
「あ、はい……はじめまして」
「あの、突然なんですが……友達に……なってください」
「よ、よろこんで……友達に、なってください」
ぎこちない会話を、風が空高く運んでいく。
見つめ合ったまま動けない、二人の少女。お互い恥ずかしげに顔を赤くし、視線を彷徨わせながらも必死に会話を続けている。
こうして向き合っている状態では、何気ないふりもできず真正面から向き合うしかない。傍から見れば挙動不審な二人は、それでも何とか友達になれたことに表情を和らげた。
どちらからともなく、手を差し出す。その手を取り合い繋いで、はにかみながら歩き始めた。
「あの、ね……ずっと気になっていたんだけど、誰を待っていたの?」
「友達になった、あなたを待っていたの。あなたはどうして、私に声をかけようとしてくれたの?」
「友達になるはずの君に、友達になろうって言うため……かな?」
互いに顔を見合わせ、少しして笑い声が漏れる。
「何だか変なの」
「そうだね。おかしなことになってたみたい」
どうやら順番を間違えていたらしい。友達になったという結果だけが先走っていたようだ。
繋いだ手を揺する。初めて繋いだ手の懐かしい感覚は、とても不思議で面白い。
まぁ、たまにはこういうこともある。
何気ないふりをして間違う。それが世界というモノなのだから。
20260330 『何気ないふり』
3/31/2026, 3:25:21 PM