憂一

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『今日の心模様』

雨が降りしきる晩のこと、男が雨具も持たずに川沿いの小道を歩いていた。雨音と蛙の声が男を包んでいる。
春先といえど夜の雨は冷たく、男の肌は青ざめていた。人が見れば死人と見間違ったとしてもおかしくないほどであった。
さて、なぜ男がこのような状況にあるのかと言えば、帰る家が無いからである。正確には、無くなった、のである。
男には妻と2人の娘がいた。近所でも評判の仲睦まじい家族で、笑顔の絶えない家であった。
しかしこの日、男の働きに出ている合間に、家が賊に襲われ妻と娘は滅多刺しにされてしまった。
男が家に戻った時には既に息絶えていた。
こうして絶望のままに、男は彷徨するに至ったのだった。
今、男の頭の中は希死念慮で満たされていた。最愛の家族を失った以上、もはや生きる意味などないと思い始めていた。
男の足取りは少しずつ濁流の方へと向かっていく。周囲に人はおらず、彼を踏みとどまらせるものは何も無い。
右の足が水に沈み、左の足もそれに続いた。
決して速い足取りではないが、躊躇わず進む。
腰の辺りまで水面を下回った時、男は川の流れにさらわれた。
流れに身を任せ、男はひたすらに流されていく。
男は意識を失った。
しかし、あるところに流れ着き、一命を取り留めた。
川辺に倒れるその男を見つけた村の者が、寺に担ぎ込み、住職が介抱をしてくれることになった。拾われて2日目の朝、男は目を覚ましたが、川に流される前の男と同様、生きる気力はもはやなかった。
それを見かねた住職は男を出家させ、信仰に専念させなんとか生きながらえさせることにした。
こうして男は、僧として再びの生を歩むこととなった。

男が川に流された日、実は娘のひとりは生きていた。意識を取り戻した娘は街の医者に引き取り育てられ、15の歳を迎えた頃、父を探す旅に出た。
娘が父と出会うことが叶ったのは18の歳の頃であったが、これはまた別の機会に話すとしよう。

4/23/2024, 1:40:48 PM