涙がこぼれ落ちる現象に「泣く」という動詞があるのはなぜ?
涙の分泌は、反射性と情動性の2つに分けられるそうです。目にゴミが入って出る涙は反射性、感極まって出る涙は情動性。長いこと人間をやっていると、つらいとき、かなしいとき、推しを目の前にして興奮のあまり言葉に詰まりどうしようもなく昂った感情をうまく処理できないとき、涙が出るのを当然のこととしてしまいますが、はたして本当に涙を流す必要があるのでしょうか。目を保護する理由以外に?
「悲しくて(嬉しくて)泣くのは人間だけ」らしく。ディズニーアニメーションで育った身としては、なんだか新鮮に驚いてしまいます。確かに現実では見たことがない。
ただ、犬の共感性に関しては研究がなされていて、情動の涙が見られることも報告されているようです。それでも分泌量が増えたという程度で、人間の「泣く」とはやはり違いがあるように思います。
ストレスから生成された物質を洗い流すために泣く、という説があります。あるいは、交感神経が優位になった状態を副交感神経優位に戻すために泣く、とか。研究されてきてはいるものの、未だにはっきりしたことはわからない。不思議ですね。いつから人間は感情で泣くようになったんでしょう。
サンスクリット語で「泣く」は rud だそうですが、rud には「叫ぶ」という意味もあるとのこと。英語の cry も「泣く」と「叫ぶ」の両方の意味を持っています。赤ちゃんが自分のストレスを知らせるときのそれを考えると、語源が両方を併せ持つことは想像に容易い。日本語の「泣く」と「鳴く」が同じ音であることも、同様の関係性があるのかもしれません。
そしたら、泣くことは叫ぶことで、もともと涙の有無は関係なかったのかも。
大声で叫ぶことがストレス発散につながることは、よく知られています。しかし、ストレスを感じても随時叫ぶわけにはいかないのが人間の社会です。
叫べない・鳴けないから、代替として、ストレス生成成分を外に出すために泣く。そこから前述の説につながるとしたら。自ら水分を失うことは、陸上の生物として得策とは言えませんが、排泄の一環だと思えば納得です。
もう少し素敵なことを書けたらよかったのですが、素人が勝手に仮説をたてて、勝手にすっきりしたところで、今日はもうおしまいです。
「涙の理由」
10/10/2024, 3:44:44 PM