同窓会の知らせを前に、燈里《あかり》は悩んでいた。
「まだ悩んでるのか」
「冬玄《かずとら》」
コーヒーを置きながら、冬玄は燈里の頭を撫でる。ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられ、燈里は慌てて冬玄の手を掴んで止めた。
「たまには楽しむのも大事だ。それとも前に何かあったのか?」
「そういう訳じゃないけど……」
乱れた髪を直しながら、燈里は言葉を濁す。眉を寄せ何かを考えているその様は、同窓会への参加を悩んでいるだけではないように思えた。
「燈里」
名を呼ぶと燈里は冬玄を見つめ、うぅ、と小さく声を漏らす。自分でも何を迷っているのか分かってはいないのだろう。その表情は普段と異なり、どこか頼りない。
暫く何も言わずに燈里は冬玄を見つめていたが、小さく息を吐くとカップに手を伸ばす。何度か息を吹きかけ、香りと味を堪能するように目を細めてコーヒーを飲み、もう一度悩みを吐き出すように息を吐いた。
「同窓会に行きたくない訳じゃないの。ただ……何ていうか……自分でもよく分からないんだけどね。こう、胸がざわざわするというか……」
かたん、とカップを置き、燈里は自身の胸に手を当てる。とくとくと刻まれる鼓動は普段と変わらないように感じた。
しかし何かが違う。参加しようと考えるだけで、途端に言いようのない不安が込み上げ落ち着かなくさせる。それは同窓会自体に関してというよりも、それに参加する同級生に関してのことのように思えた。
「前回はこんなことなかったのに……でも、今回は参加しない方がいいのかな」
「それでいいと思うよ」
不意に燈里の後ろから伸ばされた手が、スマホを取り上げる。突然のことに反応できないでいる燈里の前で欠席の項目にチェックを入れて送信し、楓《かえで》は困ったように肩を竦めた。
「楓?」
「その勘は大事にした方がいい。今回だけになるかは分からないけど、何か嫌な感じが伝わってくるよ」
「どういう意味だ?」
冬玄の問いかけに、楓は眉を顰め首を振る。答えの代わりにスマホを操作し、ある画面を提示した。
「これって……参加者名簿?」
首を傾げる燈里とは対照的に、冬玄の表情は次第に険しさを増していく。その視線は、ある一つの名前に注がれていた。
――繩手式貴《なわてしき》
前回の同窓会にも参加した男性だった。
燈里には見えていないのだろうが、冬玄には彼の名から黒い靄が滲んでいるのが見えている。どろりとした昏い感情が文字を通して燈里を絡め取ろうとしているように感じられて、冬玄は顔を顰め舌打ちした。
「冬玄?」
「こいつは、一体どんな奴なんだ」
指差された名前に視線を向け、燈里は困惑したように眉を寄せる。学生時代を思い出すように宙を見つめ、迷うように口を開いた。
「静かな人、かな?よく覚えてないけれど、誰かと集まって話したりするよりも、一人で本を読んでいることが多かった気がする」
「ほとんど燈里の記憶には残ってないよ。ただ、ここまで記憶に残らないのは、認識を歪める何かが作用している感じも受けるね」
そう言って楓は画面を消し、燈里にスマホを返す。その表情には僅かな安堵が見えるものの、警戒が解かれる様子はない。
「まるで辺り障りのない印象以外を隠しているようだ。こちらに対して悪意があるわけではないのだけれど、その分異様さが浮きだって気持ちが悪い」
燈里の内に在る妖の楓は、彼女の記憶を共有している。燈里が見たものをそのままの視線で見ることができる彼女だからこそ、その不自然さに楽観視ができないのだろう。
「繩手くんは何をしようとしているの?それとも繩手くんに何かがあるの?」
二人の様子に燈里はただ困惑する。しかし今までの経験から彼自身、あるいは彼に関わる何かが不安を掻き立てていることは理解できた。
燈里の疑問に、冬玄は画面の落ちたスマホを一瞥する。ほんの僅か逡巡し、燈里の目を見つめた。
「何をしようとしているかは分からない。だがそいつには何かが憑いている」
「憑き物筋ってこと?」
「おそらくな。そしてその憑き物も宿主も、燈里に接触しようとしているようだ」
何故、そこまで分かるのか。言葉にこそ出さなかったが燈里の不安げな表情を見て、冬玄は苦笑する。
「名前を見たからな」
その者を現世に留める楔であり、在り方を示す言霊だ。人ならざるモノにとって、名を見ることはその者自身を見ることと言っても過言ではない。
特に冬玄は代々彼女の家で祀られていた守り神だ。名を見れば、本人に接触せずともある程度の情報は読み取れる。
「何かが憑いているのは感じられるが、それ以上は分からない。ただ燈里を求めているのは確かだ。今後別の形で接触を図ってくるだろうな」
同窓会に参加しないことで直接の接触は断たれたものの、燈里に向けられた感情が消えるわけではない。楓もそれを察して顔を顰め、冬玄に目配せをしてから部屋を出ていく。
「楓?」
「暫くは睦月《むつき》の側にいることにするよ。大丈夫だとは思うけれど、念のためにね」
振り返らずに答える楓の背を見ながら、燈里は表情を曇らせる。年明けに縁あって燈里の家に住むようになった睦月は、先日恐ろしいことに巻き込まれたばかりだった。
不安げに右手の薬指に嵌るリングに触れる燈里の肩を、冬玄はそっと引き寄せる。落ち着かせるようにその華奢な背を撫でながら、大丈夫だと囁いた。
「俺がいる。燈里が望むのならば、あのちびだって守ってやるから、心配するな」
「うん……ありがとう、冬玄」
「いつも通りでいろ。そのままでいられるために、俺も楓も燈里の側にいるんだ」
ふわり、と燈里は微笑んだ。甘えるように冬玄に擦り寄りながら、静かに目を閉じる。
大丈夫だと自身に言い聞かせ、胸の奥で燻る黒い何かから目を逸らした。
しかしその懸念は後日届いた一通の連絡で、一気に形を持ち出した。
差出人は燈里の友人。
繩手が燈里に連絡を取りたいとのこと。
そして続く文面には、同窓会で繩手が接触した女性たちは、皆それぞれ小さいながらも事故で怪我をしたらしいことが書かれていた。
自身も階段から落ち、捻挫をした。見知らぬ女性に押されたことは間違いないはずが誰もその女性を見ておらず、一人で落ちたのだと言っている。他に怪我をした子も同じような女性を見た。焦り、恐怖しているのが伝わってくるような、内容だった。
その最後には、こう書かれている。
――燈里、繩手くんに会う時には気を付けて。絶対に一人で会おうとしないでね。
20260404 『それでいい』
4/6/2026, 9:32:22 AM