薄墨

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「バカみたいな幸せってさ」
二人で学校をバックれていく河川敷。なにもせずに空を眺めていたお前は、唐突に、言う。

「愚かな幸せなんだよな。いっぱい幸せなんじゃなくて、知らないから幸せでいるって感じでさ、manyじゃなくて foolなんだよ」
「なに言ってんだよ、勉強しすぎてバカになったか?」

俺がまぜっ返すと、お前は、そうそう、と息だけで笑う。
「今のお前みたいなのを、本当はバカみたいな幸せっていうんだぜ」
「なんだよお前、俺がバカだっていうのか?」
「ああ。お世辞にも学力があるとは言えないだろ、お前」
「うるせー。社会に出りゃ、勉強なんて役に立たねーんだし、勉強だけできてて飯が食えるかよ。留年しなきゃ学生としての役目は十分だろ」

はは、お前は口を開けて笑う。
「そこで、『勉強なんて役に立たねー』って断言できるところが、お前のバカたる所以だよ」
うるせー、俺は口だけで言う。

「やー、でも」お前は深く息を吸って、俺の方を向く。
「お前がバカでよかったよ」
「…何だよ急に」俺は背筋を伸ばして、お前をしげしげ眺めて
「バカにしてんのかよー」と、拳を振り上げてみせる。

「まあ、お前がバカなのは事実だし、バカにはしてるな」
「おまっお前っ、そんな、そんな、そんな………開き直りやがって!!!」
「どうした?ふてぶてしく開き直りやがって、とでも言いたかったか?」
「それだ!」
ははは、お前は本当に面白そうに笑う。
「開き直るが出てくるようになっただけでも成長だな」

そう言ったお前に、俺はなにか、居心地が悪くなってくる。
俺は、なにが引っ掛かってるのか分からないままに、居心地の悪さに倣い、微妙に目を逸らしながら言う。
「さすが、幼馴染。意思疎通バッチリじゃね」
「一方通行だけどね。お前→僕みたいな」

お前はさらっと、いつもの澄まし顔で言う。
…だから俺は、さっき感じた違和感に気づかないバカのふりをする。
「なんだよ!俺ばっかり言ってるみたいに言いやがってさ。もう俺たち、十…数年くらいの付き合いなんだぞ?お前の言いたいことを俺が読み取ったことだって、一度や二度くらいは…」
「いや、僕とお前は知り合ってからもう十三年と四ヶ月になるが、一度もそんなことはなかったな」

畳み掛けるように言って、お前はふと、静かに俺に向き直る。
「お前はずっと、そのままでいてくれよ」
「…え」
ハッキリ聞き返したはずの俺の声は、びっくりするほどうちにこもって、だからお前には聞こえなかった。

「…そろそろ帰るか!」お前の無駄に明るい声に俺は答える。
「えー、もう戻るのかよ!」
お前が好きな、バカな俺のままで。

「なんだよ、もう一時間潰してんだろ。遅すぎるくらいだ」
「はー、出たよ、マジメくん。授業は潰せば潰すほど良いんだろうが」

この時、俺がバカみたいに忘れてなければ。
俺が一生懸命、お前の“バカみたいな幸せ”について考えていれば。
こうはならなかったのかな…

テレビのニュースに映し出された、他人みたいなお前。
被害者欄に貼り出される、昔馴染みのおばさん。
病室でお前のことを語る、怪我したクラスメイトたち。
「…犯人は現在、凶器を持ったまま、逃走中です。犯行の動機は再婚による家庭内トラブルおよび陰湿なイジメに耐えかねてのものだと推測され…」
お前の言葉だけを真に受けて。
お前の表情も事情も分かろうとしないで。

なのに、捕まらずに殺されずになんとか無事に帰ってきてほしいなんて。
俺を恨んで、殺しにきたって良いと思うなんて。
バカみてえ、俺
バカみたいだな

裏口の戸の鍵が開いた気がした。

3/22/2024, 12:02:14 PM