#星のかけら
抽象的だ~~~~このアプリあんまりエッセイ向きじゃないかもしれないね···
ひねり出すと、最近星野源さんが気になっております。紅白直前に曲を聴き出し、せっかくだから!と紅白もリアタイを決めました。しかし随分なゴタゴタが前後にありまして、なんだかなぁ···と言うのが最初です。一応事前に曲を調べ、聴いてみましたがあまり好みでないかも?という印象。正直『好き』だの『推し』だのと人前で、大きな声では言えないかな。
しかし実際、演奏して歌っているところをテレビで見ていて、目が離せなくなった。はっきりと言葉を歌い、こちらを見ている。カメラを見ているだけ。それなのに『目を逸らすな』と言われているような気持ちになって息を飲んで最後まで見ていた。そして沈黙と表情。それらで何となくどんな人なのか分かった気がして、根っからの表現者なのだなぁと感じました。
私にとって、『好き』や『推し』、『ファン』という言葉がすごく重い時がある。なんだか、『好き』ならライブに行ってグッズを買って感想をSNSで話し合うのが当然。『推し』なら出演してる作品、本、イベント、ラジオを全部見てて当たり前。『ファン』なら当然の事で、出来ないなら『ファン』じゃないよね、と言われている気がしてきてしまう。これは私が勝手にそう感じてるだけで、別に誰からも直接責められたことはない。けど、SNSを見てると、人と話してるとどうしてもできていない事を見つけて心が苦しくなる。何時ぞやも言った「不幸にピントを合わせてる」に近しい、なんなら同じかな。だから私が勝手に苦しんでるだけで、誰も悪くはない。けど素直に『好きだ』と言えなくなってしまった。『好き』というにはSNSもフォローしてないし、ファンクラブも入ってない、CDも持ってない。本当にファンの人らとの温度差でまたきっと苦しくなってしまうから友達も作れない。これ、私去年もずっと悩んで何度か泣いた。どれが正解なのか分からない。正解がないのかもしれない。無いならないで何が1番楽なのかくらい教えて欲しい。情報社会のくせにこういう欲しい情報は何一つ出てきやしない。『好きにしたらいい』。その好きがどの程度なら許されるのかを知りたいんだよ!!てか許されるってなんだよ!?
一生こうやってぐるぐるしてる。なんで私にとって『好き』や『推し』、『ファン』て言葉がこんなにも重いものになったのかから探っていくしかないのかもしれない。原点回帰だね~~~
1/9/2025, 3:13:31 PM