お題「行かないで」「奇跡をもう一度だけ」
ハロウィンの奇跡というものがある。
死んだ者が、たった一夜だけ蘇る奇跡。
だからハロウィンの夜、大切な人を失った多くの人々は、とある墓場へと向かう。
その墓場は一見すると広々とした公園のように見えるけれど、中に入れば西洋墓地に似た光景が広がっている。
名前の刻まれていない墓標が並ぶその場所に、今年も多くの人が訪れる。
「また来ちゃったの?」
今、男性に肩を叩かれて振り返った彼女も、ある年から毎年のハロウィンにこの場所を訪れている一人だ。
最初の年こそ戸惑いながら中に入り、突然背後から肩を叩かれたことに驚いたが、今ではもう慣れてしまった。
一年に一回でも、毎年のこととなればそれなりに回数も重なる。
だから今年も、ずっと変わらない男性の姿を目にして、彼女は微笑んだ。
「一年に一回だけだよ」
「そりゃそうだよ。ハロウィンの奇跡なんだから」
対する男性は少しだけ困ったように笑いながらそう言って、墓地の外を指差した。
「今年はさ、ちょっと散歩でもしようよ」
「うん、いいよ」
二人は並んで歩き始める。
歩きながら、色々な話をした。昨日のこと、今日のこと。こういうことがあった。こう思った。良いこと、悪いこと。嬉しいこと、悲しいこと。変わったこと、変わらないこと。本当に、色々。
「最近はどう?楽しいこととかあった?」
「楽しいことかぁ……友達と旅行には行ったよ」
「いいね。どこ行ったの?」
「京都。紅茶のマルシェがあったから」
「紅茶好きなの、変わらないんだね」
「うん。そっちは?」
「変わりようがないよ、僕は」
何でもないことのように、男性は笑う。
もう生きてはいない彼の嗜好は、どうあっても変わるわけがない。
分かっている筈なのに、こうして隣を歩いているとつい、昔に戻った気になってしまう。
「……そうだよね」
けれど、そんなことはないのだと、彼の言葉で改めて実感する。
これはハロウィンの奇跡。死んだ者が、たった一夜だけ蘇る。だから今、こうして二人並んで話をすることができているのだ。
「好きな人はいるの?」
「ううん」
何となく上がってきた歩道橋。その途中で立ち止まって、見慣れ始めた町並みを眺める。
二人はこの町の出身ではない。
ハロウィンの奇跡という都市伝説の存在を知って、半信半疑ながらも引っ越しを決めた。
お骨も何も必要なく、ただ10月31日の夜に指定の公園を訪れるだけ。それだけで本当に、死んでしまった大切な人に会うことができる。
よく考えれば引っ越しまでする必要はなかったとも思うが、この町はハロウィンの奇跡を信じる人ばかりなので居心地もいい。
だからもう何年も、この町に留まっている。
「よっ!と」
「え、ちょっと……危ないよ」
しばらく黙って景色を眺めていた男性が、突然手摺を乗り越えて向こう側に立つ。
誰もがハロウィンの奇跡の為にあの公園を訪れている今夜、車道の車通りはほぼない。とは言っても、それなりに高さがあるので、手摺の向こうに立つのは危険な行動だった。
だから彼女は止めているのに、振り向いた本人は穏やかな笑顔を浮かべていた。
「覚えてる?最初のハロウィンの奇跡に僕が言ったこと。もう何年も前だけど」
「覚えてるよ、ちゃんと」
戸惑いながら、あの公園に足を踏み入れた夜。後ろから肩を叩かれて、会いたかった大切な人と再会した。その時に言われたことは、今でもしっかり覚えている。
――もし、ちゃんと忘れられそうな日が来たら、もうここへは来ちゃダメだよ。
「なのに、毎年来ちゃうんだから」
「だって、会いたいんだもの。あそこに行けば、会えるから……」
「そうだね。ハロウィンの奇跡が絶対だからいけない」
手摺の向こう側とこちら側。安全な場所と、そうでない場所に立ちながら、互いの表情は反対だった。
危険な場所に立っているのに、男性は笑顔を崩さない。状況にそぐわない穏やかさで、優しく女性を見守っている。
「君には、明日の命をずっと生きて欲しいから。僕はもう行くね」
そのまま、何でもないことのように男性は言って、手摺から手を離す。
「待って、行かないで!」
「来ないで」
ゆっくりと向こう側に倒れていく男性に伸ばした手は、あっさりと振り払われた。
最後まで笑顔を見せて、それすらも夜に呑まれていく。
すぐに手摺越し、精一杯に下を覗き込むけれど、もう姿は見えない。同時に、空が白み始めたことに気付く。
今年のハロウィンの奇跡が終わったのだ。
これからまた一年、次のハロウィンの奇跡まで、ただ毎日を消化していく。
けれど彼女の奇跡は、もう起きない。
夜明けまでに公園に帰るべき人が、あの日、歩道橋から夜に消えたから。
それでも、ハロウィンの奇跡をせめてもう一度だけでもと次の年も公園を訪れたが、どれだけ待っても肩を叩く人は現れなかった。
だからやっと、踏ん切りが着いた。
「本当に行くの?」
「はい」
「大丈夫?」
「もう大丈夫です」
奇跡が起こらなかったハロウィンから少しして、彼女はこの町を出ることを決めた。
近所の人たちは心配をしたが、本当にもう大丈夫だと思えていた。
彼女にはもうハロウィンの奇跡は起きないし、必要ない。だから、ハロウィンの奇跡を信じるこの人たちと一緒にはいられない。
「行ってきます」
――もう、戻ってきたらダメだよ。
追い風に混じって聞こえた声に背中を押されて、ようやく明日へ行ける気がした。
そう。ここは、時が止まった町。
大切な人がいた時間から動けない人の為の町。
動き出した人たちは彼女のように、自然と町を離れていく。
あれだけ彼女を心配した人たちも、去ってしまえば何事もなかったように日常に戻る。
そうしてまた一年、ただ日々を消化して。たった一夜だけの奇跡のために、今日を生きていく。
ーENDー
10/31/2023, 12:16:41 PM