千冬

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 なんともああ、醜い生涯である、人のいう道理とはかけ離れてある、悔いようと悔いようと、償いを必要とする人は居るもんで、逃げてばかりの自分が嫌になる、それで良いじゃないかといっても、聞く耳持たないのである、どうか私の為に、「はい」と、「その通りだ」と、いってはくれないか。

 私は極めて正常な人間です



 いつだって本質というものは
詰まらない

いや、本質を追い求める様が詰まらないのか

それが正解なのかも分からないのに、走って手を伸ばして触れようとするそのザマが



詰まらないといいながら必死に、必死に指先ふるわすのが私である



「だいたい、技法っていうのはぁ、ものを作る過程で表現に使うだけであってなぁ、その技法を使おうと思って使うもんじゃあ無いんだ」



いつだってそう気づかず馬鹿に生きていりゃあ良いのである、
真実をしっているのが自分だけであろうと、
書くのは自分なんだから、どうとでもできる


どれだけ生きたとかなんて重要じゃない、とはいっても

あとどれだけの年月があればあ、もっと多くの作品が生み出せるのになあ、と



巫山戯た巫山戯た、戯けろが、
一生そうやって間抜けな振りを



無闇矢鱈!であるのだ、
荒削りでしかあ無い、
技術というのはそうやって着けるもので無い、
だがそれが一番魂に近い



けれど



もう少し、丁寧に、繊細に、と、気を使って、



それが出来ないで魂をあらわそうなんて言うもんじゃ無い







だから

囚われた形式に入ったままの奴は嫌いなんだ



それで人をましてや書く人を

どうしようとか考えるな







近寄ろうとされるのは気分が悪いものだ











肉がえぐれると
埋まっている骨が露出する

細く

折れてしまえばといってもそれは
標識の如く僕を支え

それだけになろうとも
僕にペンを持たせる

ひとつきも願ってはいないのに

このペンは
僕の骨だ。







桜餅を食べましょう
それは春の特別なお菓子であって
甘く塩っぽく
ああああああああああああああああああああああああ
兎に角おいしい。
おいしいのである。

桜というのは
枝にそのまま花の咲いたかのような
あんまり無垢でかろやかな
薄づく花びら
ちぎるときのつう、と裂けるのが
大層愛おしい

直ぐにそれは酸化して
誠がつき
色も褪せ染み
短い命なのだ
次につけられる実も大して長生きはしない。

美しさのみの
そういう生き物なのだ。







ならば私は

茨の有る薔薇なんかだろうか



今日だけ



詰まらない独白を許して



#5

10/4/2025, 1:30:46 PM