ぼやりとほどけた思考を巡らせ、空想の中に入り込む。そこにぼんやりとした、輪郭のないあなたがいた。そう、遠い日に失ったはずのあなたが。
間違いなくここは、虚像だらけの世界のはず。あなたも含め目に映る全てのものが、あの日失ったものばかりなのだから。耳に聞こえるきゃらきゃらとした、幼い子供の笑い声。機会の作動音と特徴的な叫び声に、呆れたような女性のため息。
……ああ、全てが懐かしいのに、何故か何一つ輪郭を掴めない。ここはそんな世界だった。
ふと、あなたがこちらに手を伸ばした。あなたは間違いなくこの世にはもういない。
それなのに、僕がおずおずと目を瞬かせながら触れたあなたの手は、やたらと熱く、本当に生きているかのようだった。
ああ、こんな残酷なことがあるだろうか?
──もう僕は、あなたの名前すら思い出せないのに。
ねえ愛しい人。あなたは何故、左手だけを残してこの世を去ったのか。内心を駆け巡る慟哭のまま、一歩踏み出そうとした時、ふと世界が弾けた。
瞼を開ける、いつもの天井が目に入る。そうして雫がシーツにポタリと零れ落ちて、やはりあれは泡沫の夢なのだと僕は思い知らされた。
これが、僕の最初で最後の現実逃避の話だった。
2/27/2026, 7:56:51 PM