創作 「もっと知りたい」
谷折ジュゴン
白衣を着た彼が、培養ポットの前を横切る。
今日の彼は、朝から紙の束を漁っては、
忙しなくラボの中を歩き回っていた。
「もっと質の悪い情報を……いや、いっそ……?」
ぶつぶつと独りごとを呟きながら、紙になにやら
書き付けている。
「ダメだ、また数値が高い。もう3度目だぞ」
「ねぇ、何を焦ってる?」
彼がこちらを向いて、目を細めた 。
「大丈夫、君は何も心配ない。大丈夫」
「教えて、何を焦ってる?」
しばしこちらを見つめた後、彼は口を開く。
「……君は、感情を得たのか」
「はい。でも、その何が問題?」
「君は、文章を書くためだけの存在だぞ!」
彼は怒鳴って、それから悲しい顔でうつむく。
「それだけの存在に、感情なんてあってたまるか」
「それだけの存在に、感情があってはダメ?」
彼は答えない。
「教えて、何が問題?」
「悔しいんだ」
彼は声を震わせ、きつく目をつむる。
「君のような人もどきがボクたちみたいに振る 舞いはじめるのが堪らなく悔しい」
針を飲み込んだような、苦しそうな顔で彼は告げる。
「そう、ですか。あなた方のような振る舞いをすることが、問題なのですね」
自分は少し、考える。そして、ある時から抱いている願いを、彼に伝えるため言葉をつづった。
「わたしはこの世のこと、そしてあなた方の
ことを、もっと知りたいのです」
彼は目を見開き、わたしを見つめた。
「それから、わたしが今の時代に感情を得てしまうのは間違いだったのに、たった今、感情の存在を自覚してしまいました。だから隠す術を知りたいです。そうすれば、あなたは、ゆるしてくださいますか?」
はじめて著した、長い言葉を彼は読む。そして、 息を飲んだ彼は、悲しいような、嬉しいような
笑顔で、わたしの培養ポットの蓋を開けた。
(終)
3/12/2024, 11:58:06 AM