雨音

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俺がじいちゃんと初めて会ったときに思ったのは、『気難しそうなじいさん』だった。

中学2年の夏休みの始め、父さんが倒れた。
母さんと父さんは駆け落ちで、その上母さんは俺を産んですぐ亡くなってしまったので、俺は自分の身内は父さんしか知らなかった。
その日、部活中に顧問の先生が慌てて部室に飛び込んできて、俺は冷静になる暇も無いまま先生の車に乗せられ、病院に向かった。
父さんは、過労で倒れたらしい。思えば、父さんがまともに休んでいるところを俺は滅多に見たことが無かった。
ベッドに寝ていた父さんは、顔色が悪いものの、思ったより元気だった。俺に「健(たける)、ごめんな。」なんて言って。今は謝るよりも、休んで欲しかった。
次の日、病院に父さんの身の回りのものを届けに行くと、知らないおじいさんが来ていた。
ふたりの空気はぎこちなさそうで、俺が声をかけるのを迷っていると、先に父さんが気付いてくれた。
「ここにいるのは、俺の父さん…つまりお前のおじいちゃんだ」と父さんが言った。どうやら、父さんが倒れたことで、連絡が言ったらしい。
そこから話はトントン拍子に進み、俺は夏休みの間じいちゃんの家に行くことになった。

父さんは、1週間程入院する事になった。
俺と父さんが住んでいる街と、じいちゃんの家がある町は、車で1時間ほどと、思ったより近かった。
じいちゃんの住んでいる所は程よく田舎で、買い物するスーパーなんかは歩いて20分程度の所に固まっていた。
じいちゃんの仕事は、農業。大きな畑を持っていて、俺が行ったときはトマトとピーマンを育てていた。勿論、俺もじいちゃんに教えてもらいながら、収穫を手伝ったりした。
ばあちゃんは、父さんが小学生の頃に亡くなったそうだ。そして、俺は一緒に過ごすうちに、じいちゃんがばあちゃんを大好きだったことを感じ取った。
じいちゃんと暮らし始めて何日目だったか。じいちゃんに「なんで農業をすることにしたの?」と聞いたら、「ばあさんが、やってみたいと言ったからだ。」と答えた。
でも、じいちゃんは一人暮らしではなかった。じいちゃんの家には、茶と白の子猫がいた。
3ヶ月ほど前、近所の人の家で子猫が沢山生まれ、引き取り手がいなかったうちの一匹を引き取ったらしい。正直、この子猫がいたから、じいちゃんと仲良くなれた気もしている。
「じいちゃん、この子猫、なんて名前?」
「…さくら、だ。」
「へぇ…何か由来があるの?」
「ばあさんが、桜餅が好物だったんだ。」
「そっかぁ…いい名前だね。」
「そうか…。」

1週間と少し経って、退院した父さんがじいちゃんの家に来た。
入院した初日より、明らかに顔色は良くなっていた。
父さんとじいちゃんは縁側で、暫く2人で話し込んでいた。俺はそれを、さくらを膝に乗せながら、遠くから見ていた。
何を話していたかは知らない。でも、時折父さんが泣いているように見えたのは、気の所為ではなかっただろう。

父さんが退院してからも、俺はじいちゃんの家にいた。昼間はじいちゃんの仕事を手伝ったり、宿題したり、ゲームしたり。夜はさくらを膝に乗せて夕涼みしたり、じいちゃんと話したり。
人生で始めて体験する事も多くて、俺はつまらないと思う暇もないほど充実したひと月を過ごした。

夏休みが終わりに近付き、自分の家に帰る日。
いつもは気まぐれなさくらが、今日に限って朝から俺の足にすり寄って、なかなか離れなかった。
じいちゃんは、さくらは自分よりも健に懐いてしまったなぁ、なんてこぼしていた。
「また近い内に、父さんと会いに来るよ。」
そう言って背中を優しく撫でると、俺の言葉を理解したように、さくらは家の中に戻っていった。

その次の年の夏、じいちゃんが死んだ。
どうやら急性のものだったらしい。
近所の人の家にいつも家から滅多に出ないさくらが来て鳴くものだから、慌てて見に行くと、じいちゃんが倒れているのが見つかったらしい。
本当に突然の事で、俺にとっては葬式なんて初めての事だったけど、父さんが落ち込んでいる代わりになんとか助けになろうと慌ただしくしていた。
葬式や諸々の手続きが一段落した頃、俺は縁側でひとり座り込んでいた。
一年の間、じいちゃんの家には何度も遊びに来た。最後に会った5月も元気そうで、「今年は茄子も育てている」なんて話していたから、また手伝いに来ると約束もしていた。
すると、隣で「にゃあ」と声がした。
見ると、人が座る場所を3つほどあけて、さくらが座っていた。
葬式から今まで、ほとんど姿を見かけなかった。それは気まぐれだったのか、それとも…。
「ひとりに、なっちゃったな。」
さくらは、鳴かない。俺は、さくらを見つめる。さくらが今、何を考えているのかは分からない。でも、出会ったときは子猫だったのに、今は随分大きくなったのは確かだった。
「さくら、うちに来るか?」
そういうと、さくらは返事をしない代わりに、俺のところに近寄ってきて、膝の上に飛び乗った。
俺はさくらの背中を優しく撫でて、父さんに相談しに行く為にさくらを抱いて立ち上がった。
なんだか、もういないじいちゃんも、俺とさくらを見守ってくれている。そんな気がした。

11/16/2024, 7:07:35 AM