いぐあな

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300字小説

ひと目だけ

 昼休みの会社員で溢れる通りを歩く。
 『会いたい』と言えるほどの仲だったわけではない。ただ、ほぼ職場と家を往復する毎日で、斜め前の席に座る憧れの彼を見ることだけが楽しみだった。その彼をもう一度、ひと目だけ。
 彼が向こうから歩いてくる。顔を伏せ、すれ違う。
「あれ? 花村さん、お休みですか?」
「……えっ!? ええ、やっとゆっくり出来そうなので、出掛けようかと」
「そうですか。いえ、最近、顔色があまり良くなかったですから、ちょっと気になっていたんです。ゆっくり休んで下さい」
 彼が微笑んで去っていく。
「……気にしていてくれたんだ」

 道路を走る救急車とすれ違う。
『ありがとう。さようなら』
 花村さんの声が聞こえた気がした。

お題「すれ違い」

10/19/2023, 11:55:56 AM