題 昨日へのさよなら、明日との出会い
コンちゃんは渋谷のスクランブル交差点、その真ん中に立っていた。他に人はいない、目の前のビルには23:59の電子公告が永遠と流れていた。夜中だと言うのに周囲の建物は明かりがついていた。
「ユメくん、いる?」
コンちゃんはいじめっ子の名を呼んでみた(もっとも、ユメくんというのはコンちゃんが勝手に呼んでいる名前である)。コンちゃんは瞬時に、ここが夢だと理解していたのだ。
ポケットから電子音が鳴った。オフィスカジュアルのコンちゃんが黒のパンツからスマホを取り出すと、勝手に電話が繋がった。
「Hiii! I’m…I…idk lol.ところでコンちゃん、良い知らせと悪い知らせがある。良い方から話すね、上げて落とす方が楽しいので。この夢には終わりがない。明日なんて来ないぜ、最高だネ。やりたい放題できるからしたいこと考えとけよ。悪い方はしばらくお別れかもしれないんだ。コンちゃんと会えなくなるの寂しいなって思いました。その前に遊びましょ、思い出作りましょ、ネー?」
「(良いと悪い)逆じゃないかな」
「そんなっ」
「遊ぶなら合流しないと、今どこにいるの?」
「ス×ロー」
コンちゃんは道玄坂の方向を向いた。「10分で来いよー」とユメくんが言うので、コンちゃんは小走りする羽目になった。
ユメくんは謎生物である。毎日コンちゃんの夢に現れてはコンちゃんをいじめて笑っている。その姿は酷く不明瞭で形が掴めない。おまけにドロドロしていてヒトの形をしていない時もある。
例えば小学生時代の夢を見ていたとき、少女コンちゃんは隣の席の少年ユメくんに消しカスを投げられていた。やめてって言うと今度は消しゴムをちぎって投げられた。
コンちゃんは23歳である。こんな小学生のイタズラは笑って許せるはずなのに、なぜだかすごく傷つくのだ。向けられた無邪気な悪意が積み重なって、コンちゃんの心の柔らかいところを刺激した。
「えぇーーーん」
「キャッキャ」
ユメくんは大喜びした。無数の手をパーっと広げてふりふりさせた、まるでゲームに勝ったご褒美を貰えた時のように。
とまァ、ユメくんはこんな風にコンちゃんを泣かしていた。ユメくんはいじめられたことがないので、幼稚で典型的な嫌がらせしか思いつかないのである(と言っても、この生物に脳は無い)。
しかしコンちゃんはユメくんを嫌いになれなかった。ユメくんにいじめられるから寝るのが怖くなる、ということもなかった。だっていつも最後には、「また明日ね」って言ってくれるから。
「わ、ぁ」
ス×ローに着いたコンちゃんは感嘆の声をあげた。ユメくんがお寿司を食べているテーブルは、大量に積み上げられた皿でほとんど埋まっていたからだ。ユメくんは頭っぽいところから大きな口を出して、流し込むようにお寿司を食べていた。
ここにも人はいない。期間限定ネタ増量キャンペーンを謳うBGMだけが店内を占めていた。ユメくんがこれだけ食べているのに、レーンのお皿が全く減っていないのも不思議だった。
コンちゃんがテーブルに着くと、ユメくんはあったかいお茶を淹れてくれた。
「⋯⋯ あち、!」
「アハハ、ハ。コンちゃんは何にする?好きなの食べなァ、俺奢らないけど」
「えーっと⋯⋯ その前に、いっかいお皿片付けようよ、食べるとこ無くなっちゃう」
「そだね」
ユメくんは(本当に)大きな手でテーブルの上を薙ぎ払った。ガァン!ガラガラカラ⋯⋯ 。とテーブルはスッキリしたけど、コンちゃんのお茶まで飛んで行った。コンちゃんは一瞬びっくりしてキュッと力を入れたが、ユメくんが「食べよー」って言うので、改めてレーン見た。ユメくんに何を言っても聞いて貰えないことをよくよく知っていたので。
1枚目はマグロを取った。しかし、お皿を置く前にユメくんに取られてしまった。2枚目はたまごを取った。これも取られた。3枚目はコハダを取った。また取られるんじゃないかと、チラとユメくんを見ながら皿を置いたけど、取られなかった。こんな調子で、コハダしか食べさせて貰えなかった。
「満腹です」
「美味しかったけど、途中で飽きちゃったよ⋯⋯ 」
「なぜ」
ユメくんは本当にびっくり!全然わかんない!というふうに手っぽいものを2本上げた。ふたりはス×ローを出て、車道の真ん中を歩いていた。ユメくんは、今はヒトに近いカタチをしているが、歩き方は紙人形のようにゆらゆらしている。
「次は何する」
「⋯⋯ うーん、」
「カラオケ行こうぜ」
「え、ぁ、うん」
考えさせるくせに選ばせないのがユメくんだ。それはユメくんが1番コンちゃんのことを理解しているからである。
「ねェ、本当に今日の夢は終わらないの?」
「スマホ見てみな」
言われた通りポケットからスマホを取り出す。画面には23:59の数字が光っていた。なるほど、とコンちゃんは思った。しかし困った。明日も仕事があるし、上司の相談(愚痴)に乗る約束をしてしまった。起きられないとなると文句を言われるかもしれないなァ、と思いつつも、何だかほっとしていた。
ふたりはま×きねこに向かった。カウンターには寄らず、そのままボックスに入っていった。スクリーンにはには最近流行りのミュージシャンが映ってアルバムの宣伝をしていた。
「なんか歌えー」
「えぇ、」
悩んだ末に、コンちゃんは先程映っていたミュージシャンの歌を入れた。色んなところで聞く歌なので多分歌えると思ったからだ。前奏が始まっていざ最初のフレーズを、と、その時、曲は止んでしまった。ユメくんが演奏中止を押したからだ。
「気に入らない?」
「当たり前だろ」
「そっか、」
コンちゃんは、次はデュエットを入れた。恋愛ソングでちょっと恥ずかしかったが、これならユメくんも歌えると思ったので。しかし今度は前奏が始まって2秒で終わってしまった。
「ばーーーーかーーーーーーー」
「⋯⋯ 」
「俺歌お」
ユメくんはパンク・ロックでシャウトした。大音量がボックスに響いて揺れていた。コンちゃんは両手で耳を塞いでいたが、なんだかワクワクドキドキしてパッ!と笑っていた。ユメくんの歌う歌はコンちゃんを愉快にさせた。
「楽しかったね!」
「ネー。次何する」
「ァ、えっと⋯⋯ 」
「映画な」
ユメくんは二足歩行に疲れたらしく、シャクトリムシみたいに進んだ。シアターに着くと、ふたりは上映中の作品が並べられているモニターの前で止まった。
「何見る」
「⋯⋯ 」
「ステイだ。逃げたらバッチンする」
ユメくんは関係者以外立ち入り禁止の部屋にドアの隙間からずるん!と入っていった。コンちゃんは、シアターに来るなんていつぶりかしら、と周りを見渡して、なぜだか悲しくなった。それからしばらくして、ユメくんは水たまりが広がるみたいに戻ってくると、「スクリーン2に行く」と言った。
スクリーン2では、リスさんとウサギさんがスペシャルポップコーンを食べる映像が流れていた。ふたりは真ん中辺りの席に着くと、たくさん持ってきた食べ物(キャメルポップコーンLサイズ2つ、オレンジジュースとス×ライト、フ×ンタグレープにコカ・×ーラ、チョコチュロスとアイスクレープを前菜に、メインディッシュはアメリカンドッグ。これら全てユメくんが勝手にカウンターから持ってきた)をセットして上映を待った。
「ユメくん、」
「なんですか」
「お別れするって言ってたよね、それっていつかな」
「この映画が終わった後ですね」
「私、ひとりになっちゃうのかな、」
「いや。ここ(夢)にいる限り俺がいじめますが。ひとりにはさせねぇよ、俺の楽しみが無くなっちゃうでしょうが」
コンちゃんは、なんだか矛盾してる気がするなァ、とは思いつつも、ひとりになることは無いと知って、眉を下げてちょっと笑んだ。
いよいよ上映時間だ。劇場は暗くなり、スゥとプロジェクタのレンズが広がった。
ユメくんが用意した映画はラ×ンツェルだった。それはコンちゃんが何度も見た作品だった。物語はまだ始まったばかりなのに、結末を回顧したコンちゃんはハッとして涙を流した。そうだ、そうだった、私はデ×ズニープリンセスが好きだった。子供っぽいと思われるかもしてないから誰にも言ったことはなかったが、私はデ×ズニープリンセスが大好きだった、とようやく思い出した。
お寿司が好物だった。特にコハダが好きだった。家族みんなで回転寿司に行って、お皿をたくさん積み上げて、最後にガチャガチャをするのが好きだった。なのに周りは「コハダなんて渋いね〜」と、歳に合ってないみたいなことを言うのだ。
音楽が好きだった。特にパンク・ロックが好きだった。高校時代、カラオケには週に一回は行っていた。友達と行ってふざけながら歌うのも好きだったけれど、どちらかと言うと低い歌声を聞いている方が好きだった。自分には出せない声に、憧れを抱いていた。
全部忘れていた。コンちゃんは社会に疲れきって、みんなの好きなものを優先していた。その方がえっ!って顔をされないからだ。
コンちゃんはパタパタ泣いた。泣きながらアイスクレープを食べた。映画はドリンクだけよりも、いろいろ食べる方が好きだからだ。100分間、もぐもぐしながら涙が止まらなかった。ユメくんは100分間、コンちゃんを鑑賞してニコニコしていた。
「次は何する」
「おいしいパン食べたい。サクサクのメロンパン、しっとりのやつは気分じゃない。中にメロンクリームが入ってるのがいいの」
シアターを出たふたりはスクランブル交差点に戻ってきた。コンちゃんの後ろには23:59の電子公告が点滅して流れていた。
「オ、そうですか。でもコンちゃんの記憶にそんなものはないから、自分で探しな」
「うん」
「俺がいなくてもちゃんと泣けよ」
「うん」
「ありゃ、これはもう二度と会えない気がしてきたなァ。サヨナラだネ。グットバイ」
「うん、泣かせてくれてありがとう」
渋谷のスクランブル交差点の真ん中。00:00の電子公告が流れた。
5/23/2023, 9:31:46 AM