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 藍色の空に半月が浮かんでいる。とうに日を跨いだ時間、私たちは終電で最寄駅に到着した。
 今日というより昨夜だけど、仕事終わりに高校時代からの友達とサシで飲みに行っていたのだ。

 場所は私たちの勤務先のちょうど真ん中で、焼き鳥が美味しい大衆居酒屋だった。席だけ予約していたからすんなりと通されてからは、かなりハイペースに時間が経過した。
 食べて飲んで喋って飲んで。時間を忘れて何を頼んで、飲んで、喋ったかなんて記憶が追いつかない。危うく予約していた二時間をオーバーするところだった。いや少しオーバーしていた。酒に強い私たちはまだほろ酔い程度だけど一旦セーブしよう、という本人たちにもよくわからない決定をして店を移した。

 居酒屋の目の前にあったファミレスに入り、ドリンクバーとやみつき唐揚げを一皿注文していた。いやどんだけ鶏食べるんだよ、明日鳥になるよ私たち、ギャハハ。まるで女子高生の時みたいにふざけ合って喋り続けた。
 でもコーヒーを飲んだからか、やみつき唐揚げの高カロリーフードを食べ切ったからか、ファミレスという素面の客が大半を占める店に来たからか。だんだんとテンションが落ち着いてきた。冷静になるにつれて終電が気になってきた。お互い調べれば、あと十五分で出発してしまう。でもまだ話し足りない。

「今日うち泊まる?」
「行く」

 恐る恐る口に出した誘い文句は、たった一言で承諾された。私の家に来るとしても、あと十五分の電車には乗らないといけない。急いでお会計を済ませて(泊まるからと奢ってもらった)慌てて店を出た。ファミレスから駅までは徒歩五分くらいだけど、私たちは駅まで走った。

 アルコールとコーヒーを飲んで、たらふく食べて走るもんじゃない。
 電車に乗った私たちだけ汗をかき肩で息をしていた。カバンに入っていた飲みかけの水を回し飲みして錯覚した。

「なんか部活みたいじゃね?」
「思った」

 高校時代、硬式テニス部で学校を外周していた頃のことが頭をよぎった。
 体育館のそばにしかない水飲み場まで行くのが面倒だったり、水じゃなくてスポーツドリンクみたいな味がついた飲み物が飲みたかったりした時。テニスコートから離れた位置にしかない自販機までわざわざ寄って一本買い、二人で回し飲みしていたのだ。まぁ、先輩にバレてこっぴどく怒られたから何回もできなかったけど。

 座席に腰を下ろして高校時代の懐かしい話をしているうちに、最寄駅に着いた。駅のホームに降りて、今度はゆったりした足取りで階段を下る。一、二時間経ったとはいえ、まだアルコールは十分に抜けてないから、転げ落ちないように気をつけた。
 改札を抜けて、コンビニだけが灯ったロータリーを歩き出そうとして、後ろに引っ張られた。

「コンビニ寄りたい」

 引っ張られた方向へ顔を向けると、友達が私のジャケットの裾を掴んでいた。服もクレンジングも全部貸すのに。

「歯ブラシ」

 表情に出ていたらしい。確かに歯ブラシは新品に替えたばかりで予備がない。私は大人しく、コンビニに向かう友達の後を追った。

 コンビニに入ると、照明の明るさに一瞬目が眩んだ。目を細めながら日用品の棚の辺りを見渡す。友達は歯ブラシとブレスケアを持っていた。私は入り口のそばにあったカゴを手に取って、彼女の元へ向かった。手にしていたものをカゴに入れてもらい、店内を物色する。ついでに明日の朝ごはんを買おうと思ったのだ。

「スポドリ買う?」
「いらない」
「えーでも懐かしいよね」
「日頃運動してない私たちには糖質が高すぎる」
「急に現実突きつけないでよ」

 じゃあお茶がほしい、と緑茶のペットボトルがカゴに入った。ゴロゴロとカゴの中を転がったから一瞬バランスを崩した。手に力を入れてカゴをしっかり持ち直す。
 ドリンクコーナーを通り過ぎてパンのコーナーへやってくると、友達は何かを見つけて目を輝かせた。

「あ、ねぇ、唐揚げパンあるよ。あ、こっちはサラダチキンパンだって」
「どんだけ鶏食べんのマジで」
「待って。見て、てりたまパン!」

 パンの棚でしゃがみ込んだ友達が鶏肉を使った惣菜パンを見て大はしゃぎしている。今日は鶏肉に興奮する日なのだろうか。
 惣菜パンもいいけど、私は明日以降の朝ごはんもついでに欲しい。そう思って友達に食パンを見せると嫌そうな顔をした。

「厚切りの食パンにレトルトの照り焼きチキンとチーズ、マヨネーズと海苔もかけるのはどうでしょう」
「採用」

 カゴには五枚切りの食パンと、レトルトの照り焼きチキンを入れた。他は家にあるもので足りる。使わなかったら私の夕飯になるだけだ。
 もう買うものはないのかと思ったら、ハイボール缶が二本とショートケーキの二個入り一パックが追加された。デザートは別腹としてまだ飲むのか。明日は休みだけども。
 あえて何も突っ込まず会計をして(寄って集ってお金を出し合ったのでいくら出したか覚えてない)コンビニを出た。駅の灯りが消えて車通りもない。辺りはしんと静まり返っていた。

 街灯の明かりを頼りに歩き出した。最寄駅から自宅までは徒歩十分にも満たない。ケーキを崩さないよう、袋を慎重に持ってゆっくりと足を動かす。
 友達は目の前をフラフラ歩いていた。何度も泊まりに来ているから道は大丈夫とはいえ、いつもと違う様子が気になった。いつもならお酒を飲んでも私以上にケロッとしている。コンビニへ寄ってもお酒しか追加で買わないのに、今日はケーキまで買った。何か心境の変化でもあったのか。
 何でもない道の途中で、友達が急にピタリと止まった。後ろを歩いていた私も条件反射で止まった。

「何? どうした?」

 もしかして今日はいつもより疲れていたり、体調が悪かったのではないか。それで酔いが回ってしまったのかもしれない。いつもと違う、初めて取る友達の挙動に焦ってしまう。
 吐くのであれば何かビニール袋が欲しくて、私はコンビニで購入した品物を自分の鞄へ移した。まだ、まだ吐かないで。そんな思いでようやくケーキを一番上に乗せると、友達が振り向いた。待ってました、とビニール袋を両手で広げて構えた。

「結婚する」
「は?」
「結婚するの!」
「誰が?」
「私が!」
「……誰と?」
「ユウトくんと!」

 誰だよソイツ。

 私のその言葉は声にならなかった。私はアルコールの抜けない頭の中でユウトくんを必死に検索する。居酒屋やファミレスで彼氏の、ましてや結婚を前提にお付き合いしている人の話題にはならなかった。友達の歴代の推しにユウトくんはいない。共通する友達にも存在しない。最近ホストにハマったという話題もなかったはず。
 散々考えて導き出された検索結果は、

「イマジナリー、ユウトくん?」
「ユウトくんは存在しますーーー!!!」

 彼氏だもん、と友達は口を尖らせた。私はその友達の様子に目を剥いた。想像上ではなく、実在するユウトくん。

「は、早く言えよソレーーー!!!」

 本当に彼氏がいて、しかも結婚するとなればビッグニュースである。そんな大切な報告を、深夜のコンビニ帰りの道端で、ビニール袋広げたまま聞きたくなかった。もっとこう、昼間のビュッフェ的な、ちょっといつもとは違うプチ贅沢なランチ会で聞くものじゃないのか、普通。
 私が驚きの声を上げると友達はふふん、と得意げに笑ってみせた。

「祝ってほしいからケーキ買ったの」
「居酒屋でもファミレスでも鶏ばっかでデザート回避したの、これが理由かよ!」
「さぁ、早く私を祝ってちょうだい!」
「あぁ、もう、くそ! 帰ったら覚えてろよ。今日は寝かせないからな!」

 近所迷惑なくらいギャーギャー騒ぎながら帰路を歩いた。友達は先程までと打って変わってしっかりした足取りだ。
 私はカバンから崩れ落ちそうなケーキだけそっとビニール袋に戻し、ひっくり返らないよう慎重に持つ。三十にも満たない短い人生の中で、一番長い夜になりそうだと感じた。



『真夜中』

5/17/2024, 3:02:31 PM