書く習慣:本日のお題「ところにより雨」
ところにより雨。ネガティブ・ケイパビリティを試される言葉である。
小学生の私はいつも天気を気にしていた。
私の家は学区の端っこにあった。学校までの最短ルートは交通量が多くて子どもの登下校に向かないため、田んぼやら野原やらを経由する田舎の自然堪能コースが通学路に指定されていた。その結果、隣の学区の小学校に通った方が近いという謎の現象が起きていた。
そんなわけで、天気が悪い日は足元が悪いなか長い距離を歩かねばならない。帰り道に雨が降るのも嫌だが、下校時なら途中で水たまりで遊んでもいいし(よくない)、家にさえたどり着けばお風呂で温まることもできる。
登校時の雨は最悪だ。長靴を履いていても、足を伝った雨水が靴の中に侵入して気持ち悪いし、靴の中に水が溜まってきてどんどん足が重くなる。ランドセルの隙間から雨が入りまくって教科書も筆箱もプリントも濡れる。
体育がある日は最悪で、濡れた私服から湿った体操服に着替える時間ほど虚しいものはなかった。もちろん給食袋も濡れるから、下手するとトレイに敷くランチョンマットがお昼時までうっすら湿りけを帯びている。パン給食の日はランチョンマットに直置きしたパンまでしっとりしてしまい、しけった雨水パンをモソモソ食べるのも憂鬱だった。
大人になった今なら「着替えを持っていけばいい」と思うが、小学生の限られた体力と腕力を思い出してほしい。荷物は最小限にしたい。おまけに私に課された通学路は、東京の一駅間よりも長い道のりだった。そもそも小学校に更衣室などという気の利いたものはないので、替えの靴下を持っていくのが精一杯だった。
「ところにより雨が降るでしょう」などと平然と言ってのける天気予報士は、いつも乾いた服を着ていた。こいつも私みたいに沼地と化した野原を突っ切る朝が待っていたら、「ところにより雨が降るでしょう」なんて気軽に言わないだろうと思っていた。クソガキは心が狭いうえにすぐ八つ当たりするのだ。
雨が降るかもしれない日でも、折りたたみ傘などという洒落たものは持っていけなかった。キッズは黙って学校指定の黄色い長傘である。地味に重いし、みんな同じ傘だからクラスメイトに間違えて持って帰られるし、黄色は特に好きな色じゃないから、持っていても本当に楽しくなかった。
中学校に入って通学距離が半分になり、折りたたみ傘が解禁になり、私の登下校はバラ色になった。家が近いって素晴らしい。
中学校の学区はえげつない広範囲だったから、私の家から小学校までの距離の2倍近い道のりを毎日歩いてくる同級生もいた。しかし私は気の毒な学区の端っこ勢になんの思いやりを示すこともしなかった。
通学距離が縮んで体力に余裕ができても、心の余裕は生まれなかった。精神的な成長がなかったクソガキ時代の思い出である。
3/24/2026, 1:22:19 PM