太陽の下できらめく雑草は鮮やかで若々しい。
蒸されるような夏風に吹かれて奏でた葉擦れは心をざわつかせ、鼻についた香りは青臭い。
耳をつんざく蝉の音と、皮膚にまとわりつく湿度は不快指数を上げた。
*
「今日もシケた背中してんね?」
まとわりつく不快指数を吹き飛ばすような勢いで、背中を叩かれる。
悪びれもしない爽やかな声に、俺は振り返った。
背後にいたのは、スポーツウェアを身にまとった彼女である。
大学での練習を切りあげたのか、彼女はスポーツバッグのほか、エコバッグを片手にぶら下げていた。
「夏バテです」
この茹だる暑さのなか、密閉された体育館で元気に駆け回れる彼女からしたら、一般人などみんなバテて見えるだろう。
しかし彼女は俺の言葉を一蹴した。
「ウソつけ。昨日、元気に焼肉食べに行ってたの知ってるんだから」
「なんで知ってるんですか」
「昨日『オタクのカレシお借りしてまーす』ってクソだるい電話がかかってきたよ?」
「は? なに勝手に仲良くなって連絡先交換してんすか」
「してねえよ。そっちのスマホからかかってきたの」
「あぁ、それなら。まあ……」
いやいやいやいや。
普通にイヤだけど。
酔っ払っていたのか、携帯電話を奪われていたことも全然覚えていない。
こんな曖昧な記憶で彼女との口論に勝てるはずもなく、諦めて溜飲を下げた。
「草の青々とした匂いが苦手なだけですよ。部活中にペナルティで体育館周りの草むしりさせられたのを思い出しました」
「そんなことしてたんだ? 強豪校は大変だねー」
ケラケラと軽く笑い飛ばした彼女だが、俺としては笑えない。
昨日、焼肉を食べた相手がその部活のOBであり、部活中に備品を壊したペナルティについて、彼らと語り合ったばかりだからだ。
諸先輩方は当時を懐かしんでいたが、巻き込まれた俺にとっては理不尽極まりない記憶である。
「……190cm超えた先輩方がボールカゴの中に体突っ込んで体育館1周しようとした途中、重量に耐えられなくなったカゴの骨が折れたり、ネット巻いて角切りチャーシューだなんだと騒いで破ったり、モップでチャンバラして柄を折ったり、ボール蹴り上げて天井に突き刺したり、その度になぜか俺が巻き込まれて草むしりさせられて何度辞めたいと思ったか……」
「それはそれは。おりこうさんにしてるだけじゃ団体競技は生き残れないかー」
口では憐れんでるが表情はニヨニヨと緩んでいて面白がっている。
「……」
この人はそういう人だよな。
知ってた……。
さすがに備品を壊すなんて無作法なことはしないだろうが、彼女も好奇心には抗えない人だ。
目の前に未知なるものが立ちはだかれば、ためらいもなく飛び込むのだろう。
「……こんなところで立ち話しても溶けるだけですし、行きましょう?」
「あっ! そうだ!」
促そうとしたとき、彼女が目を爛々と輝かせて俺を見上げる。
ほとばしる汗にも負けない、キラキラと眩しい笑顔に胸が高鳴った。
「そんな青春を謳歌したきみにご褒美をあげよう」
軽快に声を弾ませた彼女との距離が近くなる。
無警戒で無垢な距離感と無意識に紡がれた甘美な言葉に、呼吸が浅くなっていった。
「ご褒美、ですか……?」
「これっ」
掠れた俺の声に違和感を持たずに、彼女は無邪気にぶら下げていたエコバッグを持ち上げる。
そして、中から彼女はペットボトルとアイスクリームを取り出した。
「コンビニで買っちゃった」
ああ。
やっぱり夏は苦手だ。
夏草の匂いが彼女の香りをかき消そうとする。
「珍しいですね。あなたがアイスクリームなんて」
「だって好きでしょ? でも、ちょっと溶けてそうだから家で冷やし直したほうがいいかも」
柔らかく微笑みながらうなずく彼女の横髪を夏風がさらう。
「……これ、俺用ですか?」
「そだよー。ご褒美って言ったじゃん」
乱れた髪を指先で押さえたあと、耳にかけて整えた。
風は彼女の視線まで奪っていく。
ゆったりと空を仰いだあと、彼女は再びエコバッグに視線を落とした。
「本当は、今度家に来てくれたときのために置いておこうかなって思ってたけど……」
ペットボトルとアイスクリームをエコバッグにしまって、俺の前に差し出した。
エコバッグを受け取ったあと、彼女と目が合う。
少しはにかんだ彼女は俺から目を逸らしかけて、やめた。
夏の暑さのせいか、それとも感情を乗せたせいか、目元を細める彼女の頬がほんのりと赤く染まる。
「今日、会えてよかった」
「え……?」
真っすぐで純粋な彼女の言葉が、カサついた心に潤いをもたらす。
無防備な笑顔に触れたくて手を伸ばした。
しかし、触れることは叶わない。
「じゃあ、またね」
軽快な一歩を刻み、彼女は俺の横を通り抜ける。
夏草と同じリズムで小さなポニーテールを揺らして、彼女の小さくなっていく背中を見送った。
『夏草』
8/29/2025, 5:56:20 AM