曖昧よもぎ(あまいよもぎ)

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其処は昔仕事で来たところだ、と彼は首を振った。
では此方ではどうかと問えば、其処も仕事で来たとまた宣う。
最早嫌われているのではないかと勘繰る程に悉く拒否される提案に、僕は溜息をついた。

旅に出ようと言ったのは僕だったが、遠くの街が良いと言ったのは彼だった。
それが、譲ろうという良心故か目的地を僕に委ねてきている。
知っている適当な土地の名前を上げ続け、早十二箇所目。
何かにつけてNOを出されるので、僕はもう旅に出るの自体をよそうかとも思った。
〈逆に、君は何処が良いんだい〉〈横濱〉〈何処だそれは〉
彼が言うには、東方の港町らしい。
鬱屈とした閉塞的な此処より遥かに素晴らしい場所であると、やや微笑み気味だ。
成る程、彼は潮風に吹かれて黄昏たいお年頃なのだな。
或いは船か。
どちらにせよ断る理由も見つからず、僕は了承した。

旅に出るという行為により得られるエクスタシーを求めてか、現実から目を背けるエクスタシーか。
ひとはなぜだか時々、旅に出たい欲に駆られる。
僕は本日初めて横濱という地を知った。
“遠くの知らない街”とは、そもそも僕の頭に思い浮かぶものでは無いのだ。
彼がその地名を口にして、僕は初めてそこを目的地にすることが可能になる。
思い出がそこに生まれるのなら、足を伸ばすのは悪くない。
宛のない旅に出るのは死ぬときか人捜しをするときだけだ。

3/1/2026, 6:24:06 AM