「揺れる羽根」
白い羽をまとった私が、貴方を幸せの国に導きます。
貴方の笑顔が消える前に、天へと羽ばたきます。
幸せと貴方が笑ったあの瞬間をもう一度この瞳に写させてください。
最愛の貴方へ。
どうかあの国で、貴方の美しい羽根を安らかに、休ませてください。愛していた、と言うならばどうか涙を胸にしまって、天へと天へと、上へ上へ、逝ってください。
これが貴方を愛した一人の天使ができる、唯一の償いだと、私は思っておりますから。
下界に落ちたとき。
小さな一匹の小鳥として落ちたとき。
羽根の根元から赤く熱い液体が滴り、死と生の境をさまよった私を暖かい手のひらで包み込み、家へと連れ帰ってくれた貴方。
フワッと広がった茶色がかった髪がうなじ辺りにまで伸びている。
心配そうに私を見下ろし、体を優しくくすぐった。
中性的な容姿は優しそうな雰囲気だった。
彼のお家は暖かくて日光が優しくカーテンを照らし、
甘いような苦いようなコーヒーの香りが立ち込めていた。バスケットに小さい毛布が敷かれた簡易的な私のお部屋。ご飯は乾燥した草で、優しい味がする。
彼の暖かい指がそっと私を撫でる瞬間は愛されている幸福感と、ちょっとした恥ずかしさが心に優しく広がった。
幸せな、優しい生活だった。
彼はカフェの店員のようだ。
コーヒーの匂いがいつも彼からするのはそれが理由だろう。彼らしい匂いだ。
そんな日常のある日だった。
彼が仕事に行ってから帰ってこない。
仕事に行ってから恐らく4日ほど。
お腹が空いた。普通の小鳥ならばもしかしたらもう死んでしまっているかもしれない。
幸い私は天使だ。普通の鳥よりは丈夫。
でもさすがにもう耐えられそうにない。
私は死んでしまうのだろうか。いや、もう死ぬのだろう。もう一度寝てしまうときっと2度と鳥として目を覚ますことはない。彼はどこに行ってしまったのだろうか。
無事で笑っているのなら、私はいい。
でも、もし泣いているのなら私は死んでしまったことを悔やんでも悔やみきれない。
逢いたい。それだけを心に思い私は瞳を静かに閉じた。
目を覚ますと空の上。
帰ってきたんだ。天の世界に。
私は天使である。力は弱いが、確かに羽根が生え空を飛ぶ。腰まで伸びた白い髪の毛は天使の特徴だ。
人の形になっている。
小鳥の姿で羽根をずっと休めていたから、人になるほどの力を蓄えられたのだろう。
彼はどこに。
私は人の姿のまま下界へと降りていった。
大きな病院。
彼はここにいる。
私は彼の病室に行くことにした。
病室に入ると、彼がいた。
でも、彼はいつもの姿とは違い茶色の髪など見当たらなかった。ニット帽のようなものを身に付け、窓のそとを眺めている。
「誰?」
彼は落ち着いて言った。
声はいつもの声と変わらなかった。
こちらを振り返った。
彼ははっとしたように言った。
「雪?」
雪とは誰だろうか。
「君は、家で保護している小鳥なのか?」
小鳥とは私のことだろう。
私は静かに顔を縦に振った。
「そうか。それにしてもいつもとは変わった姿だね。」
きっと人になった私に対して言っているのだろう。
「私は天使だから。」
私は言った。ごまかしなどない、本当の事を。
「へぇ~。....ということは僕を迎えに来たのかな。」
「どういうこと?」
「僕はね。そろそろ死んじゃうみたいだよ。
末期の癌でね。もうダメみたい。」
頭を照れるようにかく彼は諦めたような、苦い笑顔だった。
「いやだよ。」
私は言った。
「僕だってそうさ。一度は僕だって早く死にたいなんて願ったこともあったんだけどね。
生きたい理由を見つけたんだ。」
「理由って?」
「一つじゃないんだ。最近仕事が楽しかったんだ。
お客さんと話す時間はとても楽しかった。
それにね、雪。君のこともなんだよ。
雪のように真っ白な君が元気に側に居てくれる日々は僕にとってかけがえのないものだった。」
私はなにも言えなかった。
彼は困ったように笑い、上を向いていった。
「ほんと、死にたくないなぁ。」
彼は泣いていた。
私は静かに瞳を閉じた。
「私はずっと側にいるから。」
私にはそう言うことしかできない。
「せっかく、雪と話せるようになったのに。
幸せだって、心から思えたのに。
生きたいって思ったのに。
癌だって診断されてから、初めて希望ができたのに。雪と散歩に行って、ご飯を食べて、やりたいことはたくさんあったのにどうして僕にはこんなにも後悔しかないの?やだなぁ。死にたくないなぁ」
泣いている彼はきっと震えていた。
大丈夫。なんて不確かな言葉をかけることはできない。私にできることは彼をあの国に送ることだけ。
「貴方はよく頑張った。」
私は言った。
「あの世でどうかゆっくりと羽根を休めて。」
私もきっと震えていた。
彼は「ありがとう」それだけ言って眠っていった。
「ありがとう」は私の台詞なのにね。
さようなら。
私の最愛の人。
10/26/2025, 10:42:56 AM