こんな夢を見た。
木目ではない。シミでもない。竿縁天井に張り付いて、薄暗い部屋の黒にぼーっと同化するのは、顔のない女の頭部であった。午睡から寝覚めたまま畳座敷に五体を預けて仰向けに、何か感情を覚えることもなく、蛍一郎はただ女を見ていた。
カレー餅。
とんと思い出せない頃から例によって続いている。お盆になると、岡山の片田舎にある母の郷里へ、定めた訳でもなしに親子三人で帰る。
昼下がりの焦げるような陽光を皮の上に浴びて、みずみずしく発色する夏野菜の緑、ささやかな活気をもって流れる小川と、無味なる風の吹き回る透明さ。そして、古めかしい平屋の玄関戸。蛍一郎はひたすらに、この場所が苦手であった。
カレー餅。
さらに言うなら、本当に苦手なのは夏子お婆ちゃんであった。きわまって精悍として厳たる彼女の蝋人形の如く冷たい無表情で、何か粗相をやらかす度にぴしゃりと叱られるのが怖かった。
カレー餅。
三年ほど顔をださなかったこの家に来たのは、夏子お婆ちゃんが死んだと知らせを受けたからだ。ある白露の夜中のことであった。その年のお盆、顔のない女の夢を見たことをなんともなしに思い出した。
例になく、母と二人で平屋を訪れたのは同じ年の晩秋にもなった。新来者めいて馴染み深い家内をきょろきょろ観察してみると、特に差異はない。いつもの如く厳しい表情をして坐する夏子お婆ちゃんがいないだけだった。
カレー餅。
母を居間に残して、廊下をふらつく。
カレー餅。
ふと盆に見た夢を思い出して、
カレー餅。
ああ、くそ。
忌々しい、カレー餅。来訪すると必ず思い出す。先刻からというもの、たびたび頭を過ぎっていた。苦い思い出の話をする。名付けるならば、カレー餅事件だ。
カレー餅事件とはこうだ。
蛍一郎が小学生の頃の話であった。その年も例によって夏子お婆ちゃんはお餅をつくってくれた。たいてい蛍一郎はそれをぜんざいにして食うのだが、あの日は違っていた。鍋に残っていたカレーをよそって、ひとつだけ餅をいれたのである。カレー餅の誕生であった。
ひとくち頬張る。うまい。うまい。天啓を授かったような気持ちで慌てて十二分にもかみごたえのある餅をひとつ完食してしまうと、物足りない。皿を引っ掴んで、今度は三つ餅をカレーに放り込んだ。食う。食う。餅に噛み付いてはちぎって、ちぎっては咀嚼して、飲み込んでは噛み付いて、なんでもそれを四、五篇繰り返したのを覚えている。箸がとまった。残すところ一個半の餅を前に蛍一郎の胃袋が満たされてしまったのだった。
目の前には夏子お婆ちゃんが、先刻から夢中でカレー餅を頬張る蛍一郎を見ている。お残しはゆるしません。厳しい眼差しは暗にそう告げている。さあ、困った。餅をかじる。餅はへらない。息を吸って、吐いて、わずかに胃が楽になったぞと器を見やると途端に苦しくなる。そうこうしているうちにカレーをすって餅はふえる。
結局夏子お婆ちゃんにぴしゃりと叱られて、あんまりに怖かったものだから、泣きながらカレー餅を食った。
以上が蛍一郎の餅嫌いの始まりであった。
さて、居間を抜けて蛍一郎は夏子お婆ちゃんの部屋に来ていた。盆に見た夢の詳細を覚えているだろうか。夢の部屋は夏子お婆ちゃんの部屋だった。戸棚には小難しそうな小説や、折り紙の本がならび、裁縫箱が机上に鎮座する。壁掛けの写真立てには夏子お婆ちゃんと似たように厳しい表情をする先祖が飾られていて、しかしこの雰囲気は嫌いではなかった。
虫の知らせとも言えようか。
畳の匂いがする。明らかなことではあった。竿縁天井を見上げてみるが、女の顔はそこにいない。
もしもタイムマシンがあったなら
7/23/2024, 3:05:19 AM