NoName

Open App

「大将、醤油ラーメン一つ。あと、餃子とビールも」
「はいよ!」
短いやり取りのあと、懐から煙草を……取り出しかけて、やめた。健康増進法だかなんだかの影響で何処もかしこも喫煙不可になったんだった。喫煙者である俺は肩身の狭い思いをしているのだが、これも世の流れか……。仕方ない、サービス品の漬物の力を借りて口寂しさを誤魔化すとしよう。

漬物をトングで小皿に取って程なく、ビールと餃子がカウンターの向こうから届いた。
この店に来たらやはりこの組み合わせは外せない。自然と顔が綻ぶ。
さて、メインのラーメンを迎え入れる準備も兼ねて、この三種の神器に舌鼓を打つとしようか。

あらかたラーメンを迎え入れる準備が整ったところで
「醤油ラーメンお待たせしました!」
と、メインディッシュの到着が告げられた。
これこれ、これですよ! ○○(店名はヒミツ)の醤油ラーメン! 新店開拓のために、最近は他店に出向くことも多かったが、やっぱりここの醤油ラーメンが一番でしょ!

「らっしゃい!」
ラーメンが着丼するのとほぼ同時に、大将の威勢のいい声が響く。なんとなく、入り口のほうに顔を向けると、ラーメン屋には似つかわしくない若い女性客が一人。まあ、そんなことはどうでもいい。今は目の前の丼を……

(くっっっさ!)

匂いの発生源は、店員の案内に従って俺の隣の隣に座った件の女性客だ。香水のことは詳しくないので分からないが、とにかく強烈な匂いだ。女は着席するとメニューも見ずに
「いつもの」
と注文した。俺ですらいつもの、なんて通用しないのに……。若干の敗北感と強烈な香水の匂いに、俺の頭はクラクラしていた。

「いつもありがとうございます」
と、応える大将の鼻の下も心なしか伸びているように見える。辞めなさいよ、そういうの。あんた頑固親父だって雑誌に書いてあったじゃないの。若い女にデレデレするんじゃないよ、全く。思わず心の中で悪態をつく。が、そんなことをしてる間にせっかくのラーメンが冷めてしまっては勿体無い。俺は意を決してラーメンに箸を付けた。

(香水の匂いのせいで台無しだ……)
分かってはいた。分かってはいたが、いつもと違ってラーメンの匂いがさっぱり分からない。そのせいだろうか、いつもより味が劣っているように感じた。こと飲食店においては香水は煙草よりはるかに有害なんじゃなかろうか? だのに、片やお咎め無し、片や迫害とはこれ如何に? とは思いつつも、嘆いてばかりもいられない。ラーメンが冷めてしまっては今以上に美味しくなくなってしまうのは明白だ。俺は心の中で台無しになったラーメンを悼みながら、注文した品を完食した。

勘定を済ませて外に出ると、俺はそそくさと店の脇にある喫煙所に向かい、煙草を咥えた。
やってらんねぇ……そんな思いを胸に、俺は紫煙をくゆらせるのだった。

8/31/2024, 8:37:49 AM