.通り雨
「何読んでるの?」
声をかけると、彼女がこちらを見上げた。
眼鏡越しの鋭い視線とかち合う。
読書の邪魔をして悪いと思ったけど、こんな風に二人きりになれるチャンスは二度と巡ってこないだろうから、俺はその場に居座った。
「──文化祭、始まったばっかだけど」
へらりとした笑顔を浮かべ、ちょっと肩をすくめてみせる。
頭上には灰色の雲が迫ってきて、今にも降り出しそうな気配がしていたが、校内は浮かれた雰囲気で満たされていた。
がやがやとした人の息遣いを遠くに感じる。
廊下に貼り付けられた、催し物を宣伝するポスター。色とりどりの紙の花と風船で飾り付けられた教室。
体育館では、軽音部が爆音で音楽を奏でている。
「なんていうか、その、こんなとこで、一人で本読んでるの、見つけちゃったから……何読んでんのかなって、気になってさ……。思わず、声かけちゃった。ごめん」
あ、どうしよう。
俺、すげぇ、から回ってる気がする。
うざいって思われてそう。
「あー……まぁ、その、別に文化祭だからって、関係ないよな。何しようと、個人の自由っちゃあ、自由っていうか」
背中に冷たい汗が流れ、顔に浮かべた笑みが強ばる。
「──はあ」
彼女がため息をついて、俺から視線を外した。
このまま睨んでいても、埒が明かないと思ったのか、読んでいたページに指を挟んで、表紙を見せてくれた。
『十月はたそがれの国』……作者は、レイ•ブラッドベリだ。
「あ、タイトルだけ、知ってるかも。有名な作家だよね。他にも、なんか、映画になった本とかあるんだっけ」
急いで、口からついて出た言葉を並べた。
海外の作家の本なんて、『ハリー・ポッター』くらいしか読んだことがないのに。
「なんか、あのぉ、なんだっけ。温度みたいなやつ」
必死になって、彼女が図書室で読んでいた本のタイトルを思い出そうとする。
少し前かがみになって本を読んでいる姿。ページをめくる手つき。静かな彼女の横顔……。
「“華氏四五一度──この温度で書物の紙は引火し、そして燃える”」
「えっ?」
ふと、目の前が暗くなった。
制服のスカートが衣擦れする音。
ほのかに甘いような匂いがして、それが彼女の髪の匂いなのだと気付いたときには、もう遅かった。
「ねぇ、モンターグ君。あなたは、本が好きなの? それとも、読書好きな女の子が好きなだけ?」
耳に吹きかけるように囁かれた言葉が、まるで呪文のように俺をその場に縛り付け、呼吸を奪う。
「──あ、雨だ」
彼女はそう言うと、くるりと踵を返した。
手に持った本が濡れないよう、かばうように。
灰色の雲から滴り落ち始めた雨が、ゆっくりと地面の色を変えていく。
立ち尽くす俺を置いて、颯爽と去っていく彼女の背中を、俺は苦しいほど鳴る心臓の音とともに見送った。
火照った頬を濡らす雨の冷たさに、これは通り雨のようなものなのだろうかと考えながら……。
2022.09.27
9/27/2022, 11:25:43 AM