とある恋人たちの日常。

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 今日は早く帰れた。
 二人分の夕飯の支度をすると、電話がかかってきた。
 それは、彼の先輩からだった。
 
 彼が救助中、落下事故に巻き込まれたと聞いた。
 
 全身が凍りついて、全ての色が喪われそうだった。
 
「心配しなくて大丈夫だよ、俺が送っていくから」
「ありがとうございます、待っています」
 
 暫くすると玄関のチャイムが鳴り響いた。
 
 夕食の支度を止めて、玄関に走る。
 玄関を開ける前に、鍵が開けられて、松葉杖を付いた彼がそこにいた。
 
「あ、びっくりした。ただいま」
 
 自分の状況を見て、気まずそうに苦笑いしながら〝ただいま〟の挨拶をしてくれる。
 
「おかえりなさい。あれ、先生は?」
「あ、そこまで送ってくれた……ってことは、聞いた……よね」
 
 何も言葉を紡げず、頷いた。
 私は彼の荷物を持ち、靴を脱がせる。
 
「ありがとう」
 
 彼は居間にあるソファに座った。
 
「さすがに座らせてね。恥ずかしいー、ドジって落っこちちゃった」
 
 困ったように笑う彼を見て、胸に火が点いた。
 確かに心配した。不安だった。でも強がる彼を見て、違うところに痛みを覚えた。
 
 一歩前に進み、彼に負担がかからず、彼の顔が隠れるように抱きしめる。
 
「無事で良かったです」
「うん。心配させて、ごめん」
「それもこわかったです」
「うん、でも大丈夫」
 
 軽い声で安心させるように言ってくれる彼。
 それが強がりだって分かる。
 
 だから。
 少しだけ、抱きしめる腕に力を入れた。
 
「……大丈夫じゃないです」
「いや、大丈夫だよ」
 
 大丈夫じゃないよ。
 絶対に大丈夫じゃない。
 
 〝ドジった〟って軽く言ったけれど、絶対に悔しいって思ってる。もっと上手くできたはずだって思ってる。
 
 でも、これを言葉にしたくない。
 だから
 
「あなたは大丈夫ですよ」
 
 それだけを伝えた。
 
 会話になっていないと言われたら、その通り。
 でも。
 
 彼のまとう空気が変わった気がした。
 
「ありがとう」
 
 そう言いながら、強く抱きしめ返してくれた。
 

 
おわり
 
 
 
お題:落下

6/18/2024, 11:53:01 AM