偶奇数

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 人間、嘘をつこうと思っても嘘をつけないものだ。前を歩く彼の後頭部のてっぺんをぼんやりと見ながらそう思った。
 
 状況は、約束した彼との集合時間に遅れた、といったところだ。よく聞かれるのだが別に彼氏ではない。ただ単純に彼は図鑑やらいろんな知識が詰まった本を読むのが好きで、私は小説を読むことが好きだっただけだ。
 その結果どうなるか?学校の図書室で鉢合わせすることが多発した。4回目ぐらいでお互いを本好きだ、と認識し、それ以降は図書室で小説を読んだあと、次の本を探すタイミングで休憩がてらよく話しかけに行った。彼も私も司書さんと親しくよく司書の彼女に話しかけていたのもある。
 で、そんな彼だが非常に時間には厳しい。遅刻した言い訳に交通機関の遅れがーといった小さな嘘をつこうと思うくらいには。
「結局は何して遅れたの?」
 前から呆れを含んだ声が聞こえる。
 小さな嘘をつこう、とは思った。思ったけれど彼に約束の時間を遅れたことに対して負い目を感じていた私は、集合場所で彼に会い、なんかあった?と聞かれた時に、咄嗟に嘘をつくのがためらわれて、うぐ、と口ごもった。そして彼の目はすう、と細まり、時間に遅れちゃいけないから歩きながら聞くよ、と言ったのだ。
 でもそれにしては、そこまで怒ってないような?若干心のなかで首を傾げつつ今度こそ正直に答えた。
「えーと…。ぎりぎりまで映画を見ていました」
「うん」
「それだけ」
 それだけで遅れて、他に遅れた理由はない、と言外に伝える。
「映画は面白かった?」
 予想外の質問に目を瞬く。彼のバッグにつけられたシンプルな木彫りが緊張しなくてもいいよ、というように彼の歩く速度に合わせてとっと、とバッグの上で踊っていた。
「うんだいぶ。あのね、去年の本屋大賞を映画化したやつなんだけどー」
 あーあれか、と彼は呟く。すっかり嘘をつこうとして重くなった胸は軽くなり、電車に乗りながらも見ていた映画について語りだす。心なしか、彼もわずかに雰囲気を軟化させたように見えた。

「ほら着いたよ」
 そう言われ、視界に広がるのはもはや道路の備え付けか、と思うぐらいに先まで見える本棚の舗道。ぱああ、と顔面が明るくなるのを感じた。
「いつまでにする?」
「2時まで」
 わくわくしつつ彼を見上げると彼の口角がつり上がっていた。ここ行かない?と古本市のチラシを見せて誘った時に、彼も珍しくテンションが高かったことを思い出す。
 バッグからスマホを取り出し時間を確認する。ちょうど12時。じゃあいったん解散!とお互いに告げ、私は早足で、彼は自分のバッグの紐を握りしめながら真反対の方向の本の波に埋もれていった。

『そういや思ってたより遅れたの怒らなかったね』
『怒っていたほうがよかった?』
『そういうわけじゃないけどなんとなく』
『だって葉波が遅れたの3度目だから。もう慣れた』
『あー』
『非常に申し訳ございません』
『ww』


6/2/2024, 11:03:51 AM