すゞめ

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『二人だけの秘密』

 アダッ!?

 突如として体に鈍い痛みが走り、意識が覚醒した。
 瞼を持ち上げ、あまり役に立たない視力を凝らして現状把握に努める。
 ふわふわだが入眠するには硬すぎる絨毯の肌触り、目の前にはベッドがそびえ立っていた。

 ……どうやら俺は、ベッドから落ちたらしい。

 今までこんな事態に陥ったことなどなかった。
 こんなところ、彼女に見られたらと思うと恥である。
 背中と後頭部に響いている痛みをなかったことにして、体を起こしかけたときだ。

「おぅわっ!?」

 まだ薄暗い時間帯にもかまわず、俺は腹の底から声をあがてしまう。
 ベッドとは逆隣りの位置に、彼女が寝ていたからだ。

 あっぶね!?
 潰してないよな!?

 健やかな寝顔が愛くるしくて彼女に対する好き好きメーターがバカみたいに上昇する。

 見えなくてもわかる。

 彼女の睫毛フサフサだし、おでこは丸いし、ほっぺたはマシュマロだし、乾燥知らずの唇はプルプルだ。

 え。
 寝顔クッソかわいいな?

 何度目になるかわからない恋に落ちる予感に、心臓がキュッと締めつけられる。

「んむぅ?」

 慌て散らかす俺がデカい声を出したせいか、視線がうるさかったのか。
 彼女は目元を擦って意識を覚醒させようとした。

 うわ、やべ!?
 起こした!?
 いや、この場合はむしろ起こすべきかっ!?

 そもそも、なぜ彼女はこんな硬い床で寝ているのか。
 ベッドの高さも、マットの硬さも、シーツの感触も、毛布の重さも、ベッドの大きさ以外は全て彼女好みに合わせたはずだ。

 まさか、俺の隣で寝るのが嫌になったとか?

 俺と寝るくらいなら、硬い床で寝たほうがマシということなのか。
 先ほどとは180度反転した苦しみで、心臓がバクバクと早鐘を打ち始めた。

「あれ、れーじくん? ふふっ、珍しく早いね?」
「いえ、その」
「んー?」

 寝起きの彼女は平時よりも甘い。
 こんなにもまろやかな声で、俺と朝を迎えてくれているのに、俺と離れたがっているとか、普通にありえないだろう。

「…………あの、なんでこんなところで、寝てるんですか?」
「え?」

 むくりと起き上がった彼女は、今、自分がベッドに放り出されていることに気がついたようだ。

「……?」

 キョロキョロと辺りを見まわしたあと、ジッと俺を見つめた。

「風船で空を飛んでたんだけど、カラスにその風船を割られてさ。その拍子に落ちちゃったのかな?」

 マジか。
 よく起きなかったな?
 そんなに入眠が深いタイプだったっけ?
 でも、昨夜はちょっと無理させたし……。

 昨夜の彼女のあられもない姿を想像しかけたところで、俺は思考を切り替える。

 そもそも!
 なんなんだ、そのカラスは!?
 とっ捕まえて焼き鳥にしてやろうか。

 違うっ!!!!
 そんなことよりも、だ。

「ケガはないですか?」
「んー、ちょっと体がバキバキでしんどい」
「床で寝続けてるからですよ」
「起きるのしんどかったんだもん」
「変なところでズボラを発揮しないでくださいよ」

 彼女の頬を撫でれば、明らかにいつもの滑らかな肌とは違う、凹凸が指先に引っかかった。
 視力が弱いせいで確かなことは言えないが、絨毯の繊維が頬に形づいてしまっている。

 いったい、いつからここで寝てるんだろう。

「……あの、……ほっぺた、跡になっちゃってませんか?」
「え、ウソっ!?」

 俺の言葉に、彼女は強引に俺の手の隙間に自分の手を割り込ませて、確認した。
 スリスリと頬を往復させながら、彼女の顔に熱が宿っていく。

「は、恥ずかしいから、みんなには秘密にしてね……?」

 彼女にとって「みんな」とは誰のことを指しているのか。

 高校も、大学も、勤め先も異なる俺たちに、共通の知り合いは少ない。
 とはいえ、こんな愛くるしい彼女の一面を誰かに話そうとも思わなかった。
 不安気に俺の服に縋る彼女に、俺は口元が緩んでいくのを自覚しながらもうなずく。

「ええ。ふたりだけの秘密ですね?」
「ん。ありがと」

 彼女の纏う空気がホッと和らいだかと思えば、彼女はそそくさとベッドに登っていった。

「おや、二度寝ですか?」
「あと20分だけ」
「なら、俺も」

 ベッドの端で横たわる彼女を壁側に転がしながら、俺も毛布に潜り込む。

「ん、んんっ、わっ!?」

 寝起きで力が入らないのか、彼女はわりかし素直に壁側まで転がされた。

「今日からあなたがこっち側です」
「えー……」

 不服そうに声を漏らすが、あんな心臓に悪いシチュエーションは二度とゴメンだ。
 ギュウッと彼女の腰に腕を絡めて抱き締める。

「あなたの痴態をバラされたくなければ、おとなしく受け入れてください」
「その言い方、なんかヤダ」
「今なら俺とのチューもついてきますよ?」
「……それで、私がつられるとでも思ってる?」
「ええ、思ってます」
「私、そんなにチョロくないから!」

 ぷりぷりと眉を吊り上げた彼女に、俺はフッと口元を緩めた。

「なら、試してみましょうね?」
「試すってな、に……っ。んむっ、ぅ?」

 彼女の言い分は、その小さな口腔の奥へと塞いでやった。
 朝から互いの舌を深く絡めて、湿度の高い吐息を寝室に響かせる。

 その後、彼女の20分の仮眠はなくなり、彼女が眠る際、その隣は俺と寝室の壁になった。

5/4/2026, 6:17:12 AM