あの時、言い出せなかった「」
伝えようと思っていたのに、口に出せなかった言葉
何を言おうとしたのか、今ではもう覚えていない
いつのことだったのか、相手が誰だったのかも
ただ、私の中でその出来事は、心残りという形で確かに存在している
この心残りを解消する方法はあるのだろうか
私がモヤのかかったそんな昔の記憶を思い出そうとしていると、急に目の前が真っ白になった
何が起きたのだろう?
この状況が何か、全くわからない
けど不思議と、これからいいことが起こるような予感が心を満たす
怖がる必要はないようだ
気がつくと、私は懐かしい景色の中にいた
ここは、私が魔法学校の学生だった頃によく来ていた、学校近くの湖だ
周囲を見回すと、少し遠くに学生の姿があった
あれは、私の同級生の……誰だったか
ああそうだ、思い出した
卒業前に遠くの地へ行ってしまったヘンリーだ
私はずいぶん昔へ来てしまったのか
記憶がだんだんと戻ってくる
そう、私はヘンリーへ何かを伝えようと思ったのだ
それで、結局言い出せなかった
私が言おうと思っていたこと……
そうだ
ヘンリーは、事故が原因で魔法を使えなくなって、そのあと遠くへ行ってしまった
でも、事故のあともヘンリーは魔法を諦めきれない様子で、私は魔法を使えないまでも、魔法に代わる、魔法に似た道を伝えようと思ったのだ
ただ、私が代替案を出すということは、暗にヘンリーに魔法を使うことを諦めろ、と言っているようで、言い出せなかった
これが幻でも何でもなく、本当に過去へ行けたなら
今度こそ伝えよう
私はヘンリーのもとへ駆け寄った
できるだけ、当時の雰囲気を思い出しながら
「ヘンリー」
「あれ、エリナ
授業はどうした?」
「ええと、説明しづらいんだけど……」
「じゃあ、説明しなくていいよ
なにか事情があるんだろ?」
そう
ヘンリーはそういう人だった
相手の事情を慮れる人
とても優しくて、穏やかな人だ
ヘンリーは、ちょっと話そうよと言うと、その場に座った
私も座る
「エリナ
僕は魔法を使えなくなったけど、諦めきれないんだ
今でも、もしかしたら魔法を発動できるんじゃないかと思って、試してみてる
まあ、もちろん無理なんだけどね」
少し切なそうな表情をしているけれど、この表情から読み取れる以上に、心は傷ついているはず
ヘンリーは言葉を続ける
「だけど、僕だっていつまでも執着しているわけにはいかない
なにか、別の道を探さなきゃね
だけど、なかなかこれっていう道が見つからなくて……」
ヘンリーも、諦めきれないなりに新たな道を切り開こうとしていたのだ
だったら、私のできることはひとつ
当時はまだ研究が始まったばかりの分野
それをヘンリーに教えよう
「実は、そのことで話したいことがあってね
魔力を動力にして動く魔道具っていうものがあるの」
「魔道具?」
「ヘンリーは、魔法を使えないけど、魔力を練ることはできるでしょ?
魔道具は、魔力を練れさえすれば使えるもので、研究が進められてるんだって
ヘンリーは手先が器用だから、道具作りに向いてると思う
もし興味があるなら、魔道具の研究者になってみたら?」
「そんなものが……
ありがとうエリナ
ちょっと調べてみるよ」
ヘンリーはそう言うと、善は急げとその場を去ろうとし、こちらへ振り返った
「なんとなく、君が未来から来たエリナだっていうのはわかる
このことは、今のエリナには秘密にしておくよ」
私は驚いて、同時に納得した
ヘンリーは相手への理解力が非常に深い
私の正体に気づいても、おかしくはない
そういえば、言い出そうと思って結局なにも言えなかったあの時、ヘンリーは私に、「君の気持ちは伝わったよ」と言った
あの時は、励まそうとして言葉が出てこないのだと勘違いされたのかと思っていたけれど、この私に会ったあとだったのかもしれない
ヘンリーは私の時代に、どうしているのだろう
私は、ヘンリーの行方を知らない
魔道具の研究も、私の住む地域では情報が来ないから、ヘンリーが何かを成してもわからない
そんなことを考えていると、目の前が再び真っ白になった
もとの時代に帰るのか
気づくと、自分の住む家にいた
少しして、扉をノックする音
出ると、どこかで見覚えのある、私と同い年ぐらいの、白い髭を蓄えた男性がいた
「来るのが遅くなってしまった
僕は魔法学校で一緒だったヘンリーだよ
覚えてるかい?」
「あなた、ヘンリー?
もちろん覚えているわよ」
「話したいことがたくさんあるけど、まずはこれを言わないと
君があの時、道を示してくれたおかげで、僕は魔道具の研究者になれたよ
ありがとう」
ああ、無事に新しい道を見つけられたようでよかった
「このあたりでは、まだ魔道具の情報はあまり来ないだろう?
でも、もうすぐ魔道具は世界を変える
きっとすぐに、情報が巡ってくるよ
長い時間がかかったけど、研究の末、安定した生産と実用化に成功したんだ
人生をかける価値のある研究をここまで進められて、僕は幸せだ」
ヘンリーはそれを伝えるためにわざわざ来てくれたのだ
私の住まいを探すのも大変だったろうに
あの時、言い出せなかった「魔道具の研究者になってみたら?」
それを、不思議な体験で言うことができ、その言葉でヘンリーは、人生をかけるほどのものに出会えた
私はとても嬉しかった
「もしかしたら、僕に道を示したのは、君にとってはさっきのことかもしれないけどね」
すべてを見通しているかのようなヘンリーの言葉に、私は絶句した
だけど、ヘンリーなら、見通されていても納得感がる
それくらい、ヘンリーはすごい人だから
9/4/2025, 11:54:57 AM