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 蚊取り線香の匂いがした。

 そっか、もう夏だもんな、とひとり頷きながら、そおっと自分のとなりを盗み見る。
 すると、向こうもこちらを見ていたようで、ばっちり視線がかち合った。

 ──あ、睫毛ながいなぁ。

 そんな言葉がさっと頭のなかをよぎって、だけどあの子が眉尻を下げたのを見てハッとした。
 いけない、この子は自分への視線の意味に鈍感だから、きっと無視をされたと思わせてしまう!

 そう考えて、私もにっこり微笑み返してみる。
 あの子は、満開のひまわりを彷彿とさせる笑顔を見せてくれた。
 嗚呼よかった、嫌な思いはしていないみたい。

 たくさんの虫が鳴いていた。
 リーンリーン、リンリンリン、ピィッピィッ。

 彼女は元気にしているだろうか。
 辛い思いはしていないだろうか。
 悲しいときそばで寄り添ってくれる存在はあるだろうか、寄り添える存在はあるだろうか。

 ふと左手の甲に伝うやわい感覚に目を遣る。
 なにもない。ただ、夜の闇が足元を照らすだけ。

「……───」

 そっと目を閉じる。
 私は、いったい何を考えていたのだろう。

 線香花火はとっくの昔に落ちたのだ。
 蚊取り線香など、もう片付けてしまったのに。


▶香水 #78

8/30/2024, 2:33:54 PM