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「さすがに道が混んでいる。駅周辺を抜けるまではこのような感じだろうな」
渋滞気味の道路をゆるりと走らせながら、我が社の社長・火鋤神凪(かすくがみ なぎ)はそう言って少し困った顔で笑う。
俺は助手席に座りながらどうにも落ち着かない心を鎮めようと、こっそり深呼吸してみたり別の事を考えるように努めようと努力していた。だが、余りにも唐突かつ予想外なこの状況の前では、それらの行為は少しも意味を成さなかった。
(―――ってか無理だろ!凪様…じゃなかった、凪社長直々に運転されているプライベート用車の助手席に乗ってるんだぞ…!?)
目立ちたくないと言いつつ乗っている車は超が付くほどの高級車で、内装たるや全てがラグジュアリー。
俺のような一般人が乗るのが本当に申し訳なくなってくる程である。
そもそも元々護衛を任されていたとはいえ、今となっては大企業の社長兼取締役と一般部署に勤める一社員である。同じ社内に籍を置いていても、その差は一目瞭然であった。
(…そりゃ、あの頃はよく会話する事はあった―――けど)
帝鐵コーポレイションと我が火鋤神株式会社が争った「帝火抗争」。俺と八神隊長、同僚の東城翔は先代・火鋤神佐近直属の護衛であった。
抗争の最中、敵の刃に倒れた佐近から社長の座を譲り受けた凪は、社長の座と共に俺達護衛をも共に譲り受ける事になる。
護衛といえば所謂SPのようなものと認識されるかもしれないが、この場合に於ける"護衛"とは言わば懐刀のようなものである。
敵の調査を行う事も勿論、命とあらば奇襲を仕掛け、命を賭け敵と刃を交える事など幾度もあった。
故に、俺達―――少なくとも俺にとって主人・火鋤神凪の存在とは己の命そのものであり、その言葉は絶対的―――命令というよりかは神託に近いようなものであった。
先代・左近に仕えていた時はそのような感情は抱かず、主君と部下の関係性そのものであったと記憶している。
けれどこの火鋤神凪という人物に仕えるようになると、その関係性はまるで違った。
(―――なんつーか、神様に近いような人と会話してるような感覚だったんだよな)
それは火鋤神凪という存在そのものがそうさせるのかもしれない。
少年のようなあどけなさを持ちながら、深碧色に一滴の金を落としたその瞳は常人離れした雰囲気を彼に纏わせる。
朱殷色の長い髪を一つに高く結び、常に和装を身に纏い、表情から一切の真意を悟らせぬその姿は君主そのものだ。
そして、少し低く艶のある声―――
あの姿とあの声で死ねと命令されていたら、当時の俺であれば一寸の迷いなく自死していただろう。
それ程までにこの人に心酔しきっていた。
(もしかしたらあの時は抗争の雰囲気でそういう感じになってたのかも知れねえな)
兵士が戦時中に経験する心理的状態に"従順性"や"英雄崇拝"といったものがある。
あの頃の自分が、それに近い状態だったと考察すれば納得がいく。
ただ―――。
それを鑑みたとしても、火鋤神凪という人物が人を限りなく強く惹きつけ、また恐ろしい程人に畏怖の念を抱かせる存在である事には変わりない。
現に現在、社長である火鋤神凪に対して好意的な印象を持っていない人物に出会った事は無く、火鋤神凪が進める社の政策に不満を抱く者は存在しない。
そう考えると、少し末恐ろしい人物ではある。
(年齢不詳だしな…見た目は俺より全然年下に見えるんだけど、社長の妹の翠様が幼かった頃に既にこの見た目だったって噂もあるし……)
全てに於いて謎めいている―――。
「…どうした、俺の顔ばかり見て。そんなに男前か?」
そのような事を考えていたら自分でも気付かぬ内に社長の顔を凝視してしまっていたらしい。
社長はそう言って悪戯な顔で笑ってみせる。
「す、すみません!…いや、その…どうして今日は俺を連れ出して下さったのかと思いまして」
俺は誤魔化す為に咄嗟にそう言った。
何となく、社長の謎について考えていたとは言いづらい。
「んー?」
社長は運転しながら顎に手を触れる。
「さあ、何でだろうな。まだ秘密だ」
そう言うと悪戯に目を細めた。
「秘密…ですか」
秘密にする程の何かがあると言う事だろうか。
社長は暫くそのまま黙って運転していたが、不意に「なあ雷生(らいせい)」と口を開く。
「お前は何でクリスマスが嫌いなんだ?」
「…っ!」
突然の核心を突く質問に思わず俺は怯んでしまう。
「どうした、言いづらい事か?言えないなら無理に答えなくて良い」
「いえ、そう言う訳じゃ無いんですが……聞いても特に面白い話じゃないですよ?」
「構わない。お前さえ良ければ教えてくれないか」
俺は一度瞼を閉じ、深く息を吐く。
この話をするのは少しばかり、心の準備が必要になるのだ。
気付けば車は混雑を抜け、夜の市内を駆け抜けていた。光の線となって視線を通り過ぎてゆく色とりどりのネオンが美しく、眩しい。その中で、少し遠くに立ち並ぶオフィスの高層ビルは黒く暗く、小さな灯りを静かにそっと灯している。
―――目まぐるしい今に埋もれていても、決して消えず常に其処に存在している過去のように。
「俺の両親は、俺がちっさい頃に離婚しました。親父の顔はよく覚えていないですけど、唯一覚えているのは俺がハイハイしている時見た、母と言い争っている姿だった。そんな頃の事を覚えているんだから、よっぽどショックだったんでしょうね、当時。
それから母は女手ひとつで俺を育ててくれていましたが、母はそりゃあもう厳しい人で、俺が少しでも何か出来なかったり間違えたりしたら、すぐに殴ってくるような人でした。まあ、今考えてみれば母も全て一人で仕事に家事に子育てとやらなきゃいけなかった訳ですから、大変だったんでしょう。世の中も、今みたいに子育てに手厚い訳でも無かったですし。
―――前置きが長くなりましたが、そんな訳で母は仕事で家にいない事も多かったんです。学校の行事にも来れなかったし、当然、クリスマスも誕生日も、イベント事はうちにはありませんでした。
学校の奴らが話すプレゼントの話や、嫌でも見かける街中の装飾、幸せそうなカップルや家族を見るのが本当に本当に嫌だった。
それをいい大人になってもいつまでも引きずっている―――って訳です」
まあ、今は一緒に過ごす恋人が居ないっていう妬みが一番ですけど―――そう言って俺は嗤った。
(…あれ?)
何らかしらの反応がすぐに返って来るかと思っていた俺は、何も反応がなく、車内が沈黙に包まれている事に気付き、運転席の方を見る。
赤信号で止まっている中、社長はじっと、まっすぐにこちらを見ていた。
(…!?……しゃ、社長が…俺を…見つめている…!?!?)
緊張か動揺か、それとも別の何かなのか、鼓動が速くなるのを感じて俺は思わず目を逸す。
「――――すまない」
どうして良いのか分からず俺が己の膝をじっと見つめていると、社長は少し経った後そう言った。
俺は思わずバッと社長の方を再び見る。
「なっ……え!?何で凪社長が謝るんですか!」
社長は今度は伏し目がちに、とても悲しげな表情を浮かべていた。長い睫毛が眼に影を落としている。
「そのような理由だったとは。辛い記憶を思い出させてしまったな」
「いえ、全然大丈夫っす…!…こちらこそ、社長にそんな思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
こんな話、言うべきじゃ無かった。
けれどどうしてか、凪社長にはつい全てを話してしまうし、知っていてほしいと思ってしまう。
(…あの頃の信仰心がまだ抜けてないのか?いや…それとは何か違う気も…)
「……雷生」
社長は赤い信号の光を見つめながら、ぽつり、と呟くように言った。
「俺にはお前の過去を変える事は出来ぬし、お前の過去にもなってやれない。
―――けれどお前の"今"になれたら嬉しく思うし、今日も含めこれからそうなれるよう努力しよう」
社長はそうして、俺の方を見、菩薩の様な優しい顔でそっと笑った。
一回大きく心臓の音が鳴る。
思わず俺は目を見開いた。
「…あ…ありがとう…ございます…?」
顔が熱い。俺はそのような間の抜けた返事を返すと再び己の膝へと視線を戻した。
(な…な…なんだ…!?お、俺の"今"!?え!?今ってなんだよ!?いや…そんな深い意味は無いのかも…。マジでどうなる、俺……!?)
信号か青に変わる。
車は夜をゆっくりと駆け出していった。
12/25/2024, 5:27:58 PM